カテゴリー「音楽」の記事

2009年11月6日 東フィル定期演奏会 

チョン・ミョンフン指揮 「ドイツ・レクイエム」

第1曲冒頭、チェロのF音。2小節め、新たなEs音と持続するF音が短七度の和音を構成し、そしてそのEs音が半音下降するとともに、穏やかで慰めに満ちた最初のフレーズが始まる。やや骨太な響きが、ホールに充溢する。

そしてオペラシンガーズが、seligと歌い始める。まるで木霊のようなこの声は、いったい何処から聴こえてきているのだろうかと思うほどだ。幽かな木漏れ陽に似たこの美しい声は、遥か彼岸、天から零れてきているのだ。

テキスト的にも、動機的にも、ドイツ・レクイエムはこの第1曲冒頭が、全曲の根幹となると言われる。今日の演奏も、この低弦の安定感や剛性感、合唱の全てを包み込むような柔らかさや美しさ、これに貫かれていくことを確信する

その後も、ミョンフン氏のこの曲の世界観を、場面ごとに的確に表現し、万華鏡のような多彩さをもって伝えるオペラシンガーズ。いっぽう、東フィルも時折見せる不安定感はほぼ感じられず、合唱とともに音による大伽藍を構築していく。

第2曲、ティンパニの運命の動機による葬送の嘆き、第3曲フーガ、低音の長いD音の安定感と力強さ、地球に「生」が満ちる確信、合唱の天に昇る気高さ、第4曲、早めのテンポによる際立つ美しさと安らぎ感、第6曲前半、彷徨う不安定さと「怒りの日」相当部分の圧倒的な怒涛、第7曲の穏やかな静謐さによる安息感。この第6曲と第7曲の動と静のコントラストにより、全曲は見事なまでの終焉を見せた。

心残りだったのは、ソプラノの声質が、弾力のあるしっかりしたものだったこと。表現、技術ともに申し分なかったのだが、全体の基調にはややフィットしていなかったのではないか

また、第5曲終了後の、ソプラノへのブラボーは最悪だった。しかし演奏者一同、さすがプロフェッショナル。一切のテンションへの影響がなかったのが幸いだ。

しかしあらためてこの曲は、全編にわたり「生」が漲っている。数多の人が指摘しているように、これは死者のためのレクイエムではなく、生きている人のための慰めの曲、さらに言い過ぎを恐れなければ、「生への賛歌」なのかも知れない。つまり、ミョンフン氏が音楽を通して表現する、人類への愛情、肯定、温かさ、そんな主題にぴったりな曲なのだ。というよりも、氏の演奏によって、それが一層際立つのかも知れない。

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2009年7月~9月の演奏会(2)

●09年9月5日 大友直人指揮 東響オペラシティシリーズ51回

久々の、というか東京中の演奏会を見渡しても2年に1度ぐらいしかない、2番交響曲やヴァイオリン協奏曲など定番曲を含まない、オールシベリウスプロ

しかし、オペラシティ初の3階2列めのC席は驚くばかり。ステージ上の反響板からの反射音がすごい。しかしステージは右半分しか見えない。初めて聴く合唱付きのフィンランディアは、なかなかに感動的だったが、こちらも初めて聴くのが当たり前だが日本初演のフィンランド語「テンペスト」に至っては、声楽ソリストが全く見えないし。オペラシティのヤバい席はほんとにヤバい。

●09年9月11日 尾高忠明指揮 東フィル サントリー定期

全く期待していなかった、どちらかと言えば嫌いな作曲家の嫌いな曲「英雄の生涯」。しかし、なんとこれが非常に良かったのだ。

厚く熱く奏でられるオーケストラの音が心を打つ。指揮者とオケの心がこちらまで到達する。これだから生の演奏会はあなどれないやめられない。尾高氏の円熟、会心だ

●09年10月13日 サー・ジェイムズ・ゴールウェイ フルート・リサイタル サントリーホール

ゴールウェイももう70歳。一昨年あたりに聴いたカール・ライスターも近い年齢。人類の至宝のような演奏家も、永遠に現役ではいられないのだから、いつもこれが最後と思っていないとならない。

しかし年齢による渋みもほんの少々加わった気もするのが、それもはたして気のせいかもしれないと思うほど、煌くきらびやかな音色は健在。正統的で野太くがっしりしたドイツ系伝統の音もいいが、艶(つや)やかなこの音色にはまた五感を揺さぶられる。

ところで、ブリッチャルディの「ヴェニスの謝肉祭」を聴いたのは、いったいいつ以来だろう!? めくるめく艶(あで)やかなこの曲を久々に聴いて、遥か自分が10代の頃の空気がたゆたってきた。。

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2009年7月~9月の演奏会(1)

●09年07月19日 ソノール・フルート・ガラ・コンサート オペラシティリサイタルホール

三村園子門下6人によるコンサート。このうち2人が友人夫妻で、結婚式でのデュエット以来で、その演奏を聴く。

しかし同じ門下でありながら、一人ひとりがなんと個性的なこと。そんななかトリでドゥメルスマンを吹いた友人の演奏は、以前録音で聴いたプロコフィエフのソナタ同様、ドイツ正統派の音色と流儀を聴かせてくれた。アマチュアでよくここまでの高みに到達できるものだ。

●09年7月24日 チョン・ミョンフン指揮 東フィル サントリー定期

ブラームスの交響曲1番、2番。11年前の7月にサンタ・チェチーリアで聴いた氏の1番の印象がいまだに残っているのだが、今日の1番は、よくわからずじまいだった。描こうとしている全体像が見えてこないままに終わってしまった

いっぽう、2番はふくよかな演奏とは思ったものの、今日は不調だったのか? と思わせる一夜だった。

●09年8月1日 東フィル こども音楽館 オペラシティ

娘が小学生だった頃は、毎年日フィルサントリーの夏休みコンサートに行っていたことが懐かしく思い出される、今日のこどもマチネ。

また、くるみの花のワルツを聴くと、A管クラを持っていなかったため半音下げてすべてB管で吹き切った高校時代の演奏会を思い出す。花のワルツのソロは、♯だらけになってものすごいフィンガリングだった^^; 

通訳はなんと久野さん。新卒で勤務した音楽系出版社の1つ先輩に、楽屋で久々にお目にかかれました

●09年8月20日 川嶋あい C.C.レモンホール

本人にとって重要な日である8月20日に、今年もこの地でコンサートを開く。2003年が最初の年というから、6年の月日が経ち17歳だった少女は23歳に成長した

そういう背景を聴くと、つい自分のことにも思いを馳せたくなる。2003年8月、自分は今と全く違う状況を過ごしていた。そこから現在までの自分の回想を、彼女の新曲や定番曲があたたかく包んでいく

打上げで本人と一言、二言をかわす。こんな小柄な彼女のどこに、ここまでのエネルギーが潜んでいるのだろうか。人間の強い意志の持つ力を、あらためて感じないわけにはいかなかった。

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2009年9月20日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール公演

昨年2008年サントリー、ムーティーのチャイ5に続き、今年2009年はメータによるウェーベルンとブラ4を聴いた。

昨年は、発売当日にずっと電話をかけ続けたがアクセス先すべて話し中のまま、完売。その後、ヤフオクにてプレミアム付きで購入した。

今年はまず確保、と考え、先行予約にてエントリー。無事当選したものの、S席にしてなんと前から3番目。サントリーでオーケストラを聴くこと、すでにアンカウンタブルな回数だが、そんな無謀な席を自ら選んだことはこれまでなく、これが初体験の、出たとこ勝負になってしまった。

さて開演。

海外オケの来日公演では、団員もその国の聴衆を観察するのが習慣なのか楽しいのか、いつも観客をウォッチするメンバーの様子を遠目から眺めていた。

しかし今日はまさにその当事者^^; 団員たちと目が合う合う。こちらがウィーンのヒトたちが珍しいの同様、彼らもまたトウキョウのヒトが珍しいのだろう。

この舞台至近の席。サプライズなメリットを何か期待したのだが、やはり予想通りデメリットだらけだった。

たとえて言うなら、遠景から眺めると風光明媚な海岸を訪れたのに、間違って波打ち際まで近付いてしまい、大波の迫力だけしか見られなかったとでも言おうか。

ほんの少々の距離を置けば気にならないだろう、微妙なズレ、歪みといったものがはっきりとわかってしまう。さらにコンマスの音が目立ち、その他のヴァイオリンの音がこれに付随して聞こえてしまう。管楽器はぼやけた音で、しかもどこの反射音から聞こえてくるのかわからない。

そんな状況だから、肝心の音作りがどんなふうだったのか、これもよくわからない。ただ、ブラ4では、メータが求心力となって団員のテンションをあげていく、というところまでは行ってなかったような気がした。

ブラームスはまず堅牢さがあって、ブラ4はそこから絶望への誘惑というような「甘やかな」部分と鬩ぎ合う必要があると思うのだが、そのあたりもなんだか無難に過ぎてしまったのかとも思う。

ウェーベルンでは、団員の作曲家への矜持を感じたものの、パッサカリアを除く2曲の十二音音楽自体が、個人的に年齢を重ねたところで理解できるものでも感じ入ることができるものでもないため、如何ともしがたい。

そんなこんなで、まともな席で聴いてみたかったと思いつつも、終演後の観客の拍手の止みがかなりあっさりしたものだったことから、大きな満足感をもたらした演奏会ではなかったと考えるのが妥当なのだろう。

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LUXMAN D-05を購入(2)

< 「LUXMAN D-05を購入(1)」から続く >

向かった先は、2年前に音楽出版社勤務時代の後輩から紹介してもらった、秋葉原テレオン

購入候補は、デノンDCD-SA11、同じくデノンDCD-1650SE、マランツSA-13S2、そして購入に至ったLUXMAN D-05の4機種だ。DCD-SA11はこの中では高価格だが、後継機の発売が近く、割引率が高いのだそうだ。

スピーカーは、現有機器のハーベス、コンパクト7の後継機。アンプは、現有のエレクトロコンパニエの適当な代用がなく、オーソドックスにデノンPMA-SA11とした。

On_bach_2試聴CDは、いつも使うシャイー&クリーヴランドの春祭に加え、現状のマイ・ベスト・オブ・ベスト、ヒラリー・ハーン、バッハのソナタ&パルティータの2枚。

まずはデノンDCD-1650SE。デノン定番の1650であり、AEのモデルチェンジ新製品ではあるものの、さすがに今回の他3機と続けて聴いてしまうと、聴きやすいがすべてにまとまり過ぎ。格の違いを見せつけられて(聴かせつかれて?)しまった。

またデノンDCD-SA11は、あくまで音源に忠実な誠実さは4機種随一だった。が、かつてサンスイの最高峰プリメイン、907リミテッド(だっけ?)と現有のエレクトロコンパニエを聴き比べたときのことを思い出してしまった。忠実過ぎて、本人らしさがよくわからなかったのだ。

01_4そして、マランツSA-13S2LUXMAN D-05。それぞれに基本に忠実ながら個性を持つこの2機種は甲乙つけがたかったが、最終的に、ヒラリー・ハーンのバッハの音の好みで、LUXMAN D-05に決めた。音のピュアさ、自由な軽やかさ、宇宙に、永遠につながる感じがわずか一歩勝っていたのだ。

しかしオーディオは、そもそも真剣に聴いて初めてわずかな違いがわかる世界。まして同価格帯の国産製品同士は、違う違うと言っても針小棒大な表現によるものだ。だから、好きなディスクを聴いたときの五感、体感、インスピレーションで決めるしかないのだろう。

ところでシャイーの春祭については、そもそも最近オーケストラは生でばかり聴いているので、この組み合わせであっても少々無理めな感じがしてしまった。

あ~スピーカーも買い替えたい!! でもでも先行きの生活すら保障されていない平成な状況を何と心得る(怒)! と自分を戒めたい気分の、盛夏の夕暮れでございました・・・

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LUXMAN D-05を購入(1)

09年5月に、「ルボックスのC221ついに全壊」の記事を書いてから3ヶ月。ようやく、新しいCDプレイヤーを購入した。

このとき全壊と書いたものの、レンズクリーナーを何回かかけながら再生させると、意外に止まらずいくこともあり、そのまま騙し騙し使用していた。が、ここへきて、さすがにそれも限界になってきた。

先日はなかなか好調で、愛聴盤であるバーンスタインNYPOのシベリウスの2番をいい感じで聴いていた。ところが、4楽章ラスト2分で突如停止。すっかり自分と音楽の間に機器が介在することを忘れて音楽に入り込んでいただけに、これはつらい。

そこでオーディオ店の知り合いにもろもろ相談したところ、手持ちのルボックスの修理は不可能かもしくはかなりの費用がかかることもわかり、購入を決心した。

しかし15年前に、現在の海外製品でオーディオを一新した時から、日本も変わり、オーディオの世界も変わった。平たく言うと、ますますハイエンド製品とその他もろもろの間に、二極化が進んだようなのだ

手持ちのルボックスと同程度の、買値20万台の輸入CDプレイヤーには、手頃な製品がないと言う。なるほど、オーディオの趣味を続けていて今も海外製品を買うような人は、広大な土地建物を持ち、将来にわたり金にも不自由しない人に限定されてきているのだろう。だから、マーケットに対応して製品もハイエンド化。

いっぽうそうでない人たちは、以前はオーディオに興味はあったが、今さらそんなものにカネをかけず、パソコンや携帯型音楽プレイヤーやラジカセで音楽を聴いているに違いない。

確かに平成の時代と自分の環境を鑑みると、向こう10年ですら、生き抜けるかどうか見通しが立たない。今が昭和なら、終身雇用に右肩上がりの給料にそこそこの退職金をあてに、ここで一気にグレードアップをはかったのだろう。が、そんな夢のような時代は、すっかり郷愁の彼方となった。

ということで二極化コアマーケットから中途半端な自分は、ひとまずは現状維持もしくは若干のグレードダウンも視野に入れ、今日、秋葉原のオーディオショップに向かったのであった。。

( 「LUXMAN D-05を購入(2)」に続く)

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09年6月26日 東フィルサントリー定期 『椿姫』 コンサートスタイル・オペラ

指揮:チョン・ミョンフン

コンサートスタイル・オペラ。ガラ・コンサートや、イベント的な演奏会で似た類のものは聴いたことはあるが、このような本格的なスタイルでは、初の体験だ。

今回演奏会を聴くまでは、「本物のオペラの縮小版」的な捉えかたをしていた。しかし実際に聴いてみると、そんなイメージは覆された。

オペラではピットにいるオーケストラが、ここではオケの演奏会の位置にいる。当然音を聴くにはベストポジションだ。

またオペラでは、衣装を着てその他大勢として演技をしている合唱が、合唱付きのオケ曲の位置に居並ぶ。こちらも当然、各パートがまとまって、ビシっと聴こえてくる。

もちろんソロ歌手も、演劇的表現の必要がない分、歌だけに専念することができるはずだ

つまりこのスタイルは、オペラから演劇的な要素を一切排し、音楽のみを純度高く抽出することができるものなのだと、聴いているうちにわかってきた。

「CDで聴く」オペラを生演奏で聴いている、という感覚が一番適切なのだろう。

しかし、今日もミョンフン氏は、弦を歌わせみごとに鳴らす。氏の手にかかると、それが東フィルだということを忘れてしまうことがときどきあるが、今日もそんなレベルの高さだ。

ところどころで、各パートで音が揃わないところもあったが、そんなことはトータルな表現に何も影響を及ぼさなかった。音が艶々ときれいに輝いていて品が高い。

また、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンの主役3人は、海外の歌手で固める。ここも細部を論えばいろいろあるものの、総論的にはOKと言っていいだろう。ただ、サントリーホールとの相性のせいか、音がダイレクトに鼓膜に響き過ぎのきらいもあった。

またまた最後にこんな話しで恐縮だが、LC3列目のご年配のご婦人は、冒頭のデリケートな第1音が鳴るまさにそのタイミングで、袋をガサガサガサガサ鳴らし続け、P席にいた友人によると、指揮者はそのために上げたタクトを2度下ろしたという。

音響から選んだ今期の東フィル定期のLC席は、これで開幕3ヶ月連続でこんなレベルの一見サンに見舞われた。清濁あわせのまざるを得ない仕事から解放される平日夜の楽しみに、こんな理不尽を排除できる仕組みはないものだろうか。。。

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09年6月11日 トリオ・ディ・クラローネ 演奏会

王子ホール

メンデルスゾーン:コンツェルトシュトゥック1番、2番

シューマン:3つのロマンス、おとぎ話、幻想小曲集ほか

しかしメンデルスゾーンのコンツェルトシュトゥック1番、2番。こんなレアな曲を、こんな小ホールで、ワールドメジャーなザビーネ・マイヤーが演奏するとは、いやいや、生きてるといいこともあるものだなと、購入。

もちろんこの曲を知るほとんどの人には、ウェストミンスターのウラッハ盤が刷り込まれていることだろう。演奏者からしても、このスタンダードとも言える演奏と、自身の解釈を対比しないわけにはいかない。

マイヤーはやってくれた。アゴーギクにしろアーティキュレーションにしろデュナーミクにしろ、ウラッハ盤の呪縛を全く感じさせない。堂々と豪快で音圧・音量抜群でキレのいいコンツェルトシュトゥックは、耳に新しく斬新そのものだ

CD録音で聴くマイヤーは、オーソドックスな定番な印象があった。いっぽう数年前にサントリー聴いたモーツァルトの協奏曲では、オリジナリティを、やたらと楽譜にないフレーズを繰り出すことで表現しており、どうも納得できなかった。

しかし今日の堂々オリジナル真っ向勝負のメンデルスゾーン。古き良き時代のウィーンの香りがするウラッハ盤の解釈を全く新しく塗り替えることに成功した演奏には、感服。素晴らしい! 

いい演奏会だった。

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09年6月10日 クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

サントリーホール

バッハ:パルティータ2番、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ32番、バツェヴィチ:ソナタ2番、シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲

この価格設定は強気だなと思っていたところ、さすがに空席が目立つ。1階席の通路後方R側は、7割方あいていた。

全体を通して、耳に馴染んでいるバッハとベートーヴェンの2曲は、あまり印象に残らなかった。いっぽう、ともに初めて聴くバツェヴィチとシマノフスキには、心を動かされた

前者では、大作曲家と大ピアニストが対峙していた様相であったが、後者ではそれが一体となっていたとでも言えばいいのだろうか。

ポーランドの作曲家の曲をポーランドのピアニストが弾いているから、という安易な結論に帰結するのはいかがなものかなとは思うものの、この2曲を通して描かれる心の葛藤は、時代や国を超越してひしひしと伝わってきた

シマノフスキの中盤以降、近現代的な『展覧会の絵』とでも思わせるスケール感が、圧巻だった

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09年6月3日 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 演奏会

東京文化会館、指揮:アイヴォー・ボルトン、ピアノ・ラルス・フォークト

ハイドン:交響曲101番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、交響曲第41番

23日のデンマーク・ロイヤル・バレエ団に続いて、再び東京文化会館へ。かつては演奏会のほとんどが文化会館だった時代もあったが、最近は此処へ続けて来ることは、非常に珍しい

会場は8割が埋まる盛況。そんな安価ではない価格のことを考えると、やはり日本人にはモーツァルトやウィーンの愛好家が、一定数存在するのだろうか

編成は、弦の各パートが2~4プルトと、室内管より少し大きいぐらいの編成。

最初はハイドン。初めて聴くこのオケの音に、まずかなりの違和感があった。このホルンとトランペットはザルツブルクもしくはウィーンの伝統的な楽器なのか、やたら音が粗い。弦と木管は現代の楽器のように見えるが、全体的に古楽っぽい響きだ。

残念ながら、ハイドンはあまり琴線に響くところがなく、仕事の疲れから睡魔が勝ってしまった

続く20番。ピアノのラルス・フォークトの、クリアでしっかりとした情緒に流されることのない展開が心地よかった。が、ここでもピアノとオケのトゥッティにおける音に違和感が残った。

これまで聴いてきた国内オケ海外オケ問わず、モーツァルトの音とはこういう感じ、という範疇を大きく超えている。これが地元で伝承されている、18世紀からのモーツァルトの音なのだろうか

ところが休憩後の41番で、覚醒した。音は変わらないのだが、それが逆にモーツァルトの悪魔的な側面を強烈に焙り出す。モーツァルトの音楽には、ところどころに時代を超えてしまった未来の音が垣間見えるが、この4楽章も、なんだか立ち入ってしまってはいけないような音世界が展開される

今日の演奏会は、すべてこの4楽章で魔界の扉を劇的に開くために構成されていたのはないかと思えるほどだ

アンコールは、ボルトンが愛嬌たっぷりにフィガロやモーツァルトのコアな小曲を奏で、さすが本場と思わせるなか、和やかな雰囲気のなかで幕を閉じた。

それにしても今日の観客は、フォークトのアンコール終了後、音楽が終わり彼が完全に緊張感を解くまで固唾をのんで見守っていた。そして湧き上がるような拍手。久々に(というか最近ほどんどない)民度の高い観客が素晴らしかった。

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