カテゴリー「音楽」の記事

2010年9月17日 コボスのスペイン音楽プログラム

ヘスス・ロペス=コボス指揮、東フィルサントリー定期 トゥリーナ 交響詩「幻想舞曲集」、ロドリーゴ「ある紳士のための幻想曲」、ファリャ「三角帽子」

このあたりが好きな方には恐縮だが、オーケストラのメインストリームからすると、亜流に位置付くこの日のプログラム。 「三角帽子」はディアギレフ関連作品とはいえ、ストラヴィンスキー、ラヴェルのメジャー作品と比べると存在感は薄いし、「ある紳士~」は、村治佳織の録音で初めて知ることとなった。

しかし、このようなプログラムこそ、定期公演ならではなのだろう。単券でチケットを購入することはない。しかし、定期プログラムに組み入れられることで、そのハードルを超え、むしろ興味を沸かせてくれる。そしてその期待どおり、今日の公演は得難い音楽体験をもたらしてくれた。

たぶん初めて生で聴く「三角帽子」は、大編成かつ異色な編成な曲の場合よくあるが、CDで聴いていてはどう成り立っているのかわからない箇所が次々と明らかになる。それは薄い靄がかかっていた情景が、一瞬のうちにクリアになる感覚だ。

全貌が見えたこの曲は、一瞬レスピーギの南欧感を思い起こし、すると次はストラヴィンスキーの20世紀的感覚を想起させ、そしてプロコフィエフのバレエ音楽のテイストが伝わってくる。しかしそれらはあくまで断片であり、本質的にスペインで高みを極めたスペインのオーケストラ音楽を、充分に堪能できた。

またコボスの熱と技術も、東フィルメンバーを通し、充分に伝わってきた。成功した演奏だと言えよう。まさに定期公演ならではの醍醐味だった。

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2010年7月23日 プラッソンの幻想

ミシェル・プラッソン指揮 東フィル ベルリオーズ ローマの謝肉祭、夏の夜、幻想交響曲      サントリーホール 

演奏会やCDで様々な幻想を聴いてきたが、今日の幻想は唯一無二、既知の輪郭を覆すような演奏だった。幻想と言えば、現代では普通こんなふうに解釈され演奏される、というスタンダードから離れ、それはもしかしたら19世紀はこんな感じだったのかも知れないし、もしかしたら、それは全く新しい21世紀的なものだったのかも知れない。

冒頭、まるでよくできた映画や小説のプロローグのように、これから何が起きるのか予想もつかない序幕。その後も、決して咆哮せず走らず、ドラマティックとは程遠いのになぜか地味とも全く掛け離れ、オリジナリティの塊りが意表も突く。

銃弾が飛び交いもせず、人が死んだりもせず、なのにひたひたと心の奥底を震撼させるサスペンスを見ているような緊迫感。オケの音色も透き通った音ながらも、それだけでは済まされない仕込みが入る。

普段聴く幻想だと、曲途中でいくつかの感銘のピークがあるのだが、今日はそれが全くなく、それはすべてまとめて全曲が終わった瞬間にやってきた。トータルでの世界観にいつの間にか自分が入り込んでいて、それを見届けたときに深いものがずしりと全身を貫く。

さすがにこの演奏を否定的に捉えた人はほとんどいないのだろう、サントリーホール全体にポジティブな気の波動が満ちたのが見てとれた。

こんな歴史的な瞬間に立ち会えることが、生演奏通いの醍醐味なのだ。

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2010年7月11日 都響 作曲家の肖像「シューマン」

6月はヒラリー・ハーン2公演のあと、セキと頭痛に苛まれ、3公演に行けずじまい

6月5日都響作曲家の肖像「ストラヴィンスキー」、6月9日フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン”モーツァルティステン”、6月11日東フィルサントリー定期、それに加え、これは東京ドームの巨人戦と重なった、エルムの鐘(アマオケ)も入れると、4公演ジャンプしてしまった。

ということで、およそ1ヶ月半ぶりの演奏会だ。

ルイサダのシューマンのピアノ協奏曲は、なんだかかつてのヴィルトゥオーソスタイルというか、時代がかったように重厚だった。テンポも遅く、各フレーズを独立させて弾き込む。自分のなかでこの曲の原点は、ルービンシュタイン盤とリパッティ盤の対比から成り立っているのだが、これはまさにルービンシュタインを彷彿させる。

いっぽう交響曲3番ラインは、下野竜也、呪縛から解き放されたように、冒頭から快活に走る。厚い音圧をキープさせながらの、好演だった

ところで今回、初の3階LBの前ブロックで聴いたが、音が非常にクリアに響くいい席だった。サントリーに例えると、LCが高くなったような位置。2LB、3階LBの後ろは座ったことがあったのだが、そのどちらよりもいい。芸術劇場は、1階も2階もなかなか音が茫洋としてしまうので、1LBとここの3LBはオススメです^^

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5月30日 ヒラリー・ハーン&フィルハーモニア管 東京芸術劇場演奏会

劇術劇場から、今帰ってきました!

ヒラリー・ハーン、昨年1月のリサイタルから1年4ヶ月ぶりの来日公演です! 今回は、サロネン指揮、フィルハーモニア管との、チャイコフスキーの協奏曲です。

満を持して選んだ前から7番目、上腕部の筋肉の躍動ぶりまでクリアに見える席で、真紅のドレスのハーンを堪能してきました!heart04

相変わらず、精密機械のように正確無比なのに、弱音から強音までの表情がそれぞれの種類で豊潤。。抑制の効いたチャイコはハーンならではの演奏で、至福の時間でした。sign03

アンコールは、バッハのサラバンド。昨年聴いた無伴奏ソナタ2番の宇宙につながる感覚を思い出し、浸りました!

ちなみにシベリウスの2番は、暗く澄んだ湖がうねるような弦、氷の断崖がすべるような管、最近向上著しい日本のオケにしてもまだまだここまでは無理だな~と思う出来でした!さすがサロネン。フィルハーモニア管もなかなかやります。up

3日はサントリーで同一のプログラムを聴きますので、比較が楽しみです^^

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2009年11月6日 東フィル定期演奏会 

チョン・ミョンフン指揮 「ドイツ・レクイエム」

第1曲冒頭、チェロのF音。2小節め、新たなEs音と持続するF音が短七度の和音を構成し、そしてそのEs音が半音下降するとともに、穏やかで慰めに満ちた最初のフレーズが始まる。やや骨太な響きが、ホールに充溢する。

そしてオペラシンガーズが、seligと歌い始める。まるで木霊のようなこの声は、いったい何処から聴こえてきているのだろうかと思うほどだ。幽かな木漏れ陽に似たこの美しい声は、遥か彼岸、天から零れてきているのだ。

テキスト的にも、動機的にも、ドイツ・レクイエムはこの第1曲冒頭が、全曲の根幹となると言われる。今日の演奏も、この低弦の安定感や剛性感、合唱の全てを包み込むような柔らかさや美しさ、これに貫かれていくことを確信する

その後も、ミョンフン氏のこの曲の世界観を、場面ごとに的確に表現し、万華鏡のような多彩さをもって伝えるオペラシンガーズ。いっぽう、東フィルも時折見せる不安定感はほぼ感じられず、合唱とともに音による大伽藍を構築していく。

第2曲、ティンパニの運命の動機による葬送の嘆き、第3曲フーガ、低音の長いD音の安定感と力強さ、地球に「生」が満ちる確信、合唱の天に昇る気高さ、第4曲、早めのテンポによる際立つ美しさと安らぎ感、第6曲前半、彷徨う不安定さと「怒りの日」相当部分の圧倒的な怒涛、第7曲の穏やかな静謐さによる安息感。この第6曲と第7曲の動と静のコントラストにより、全曲は見事なまでの終焉を見せた。

心残りだったのは、ソプラノの声質が、弾力のあるしっかりしたものだったこと。表現、技術ともに申し分なかったのだが、全体の基調にはややフィットしていなかったのではないか

また、第5曲終了後の、ソプラノへのブラボーは最悪だった。しかし演奏者一同、さすがプロフェッショナル。一切のテンションへの影響がなかったのが幸いだ。

しかしあらためてこの曲は、全編にわたり「生」が漲っている。数多の人が指摘しているように、これは死者のためのレクイエムではなく、生きている人のための慰めの曲、さらに言い過ぎを恐れなければ、「生への賛歌」なのかも知れない。つまり、ミョンフン氏が音楽を通して表現する、人類への愛情、肯定、温かさ、そんな主題にぴったりな曲なのだ。というよりも、氏の演奏によって、それが一層際立つのかも知れない。

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2009年7月~9月の演奏会(2)

●09年9月5日 大友直人指揮 東響オペラシティシリーズ51回

久々の、というか東京中の演奏会を見渡しても2年に1度ぐらいしかない、2番交響曲やヴァイオリン協奏曲など定番曲を含まない、オールシベリウスプロ

しかし、オペラシティ初の3階2列めのC席は驚くばかり。ステージ上の反響板からの反射音がすごい。しかしステージは右半分しか見えない。初めて聴く合唱付きのフィンランディアは、なかなかに感動的だったが、こちらも初めて聴くのが当たり前だが日本初演のフィンランド語「テンペスト」に至っては、声楽ソリストが全く見えないし。オペラシティのヤバい席はほんとにヤバい。

●09年9月11日 尾高忠明指揮 東フィル サントリー定期

全く期待していなかった、どちらかと言えば嫌いな作曲家の嫌いな曲「英雄の生涯」。しかし、なんとこれが非常に良かったのだ。

厚く熱く奏でられるオーケストラの音が心を打つ。指揮者とオケの心がこちらまで到達する。これだから生の演奏会はあなどれないやめられない。尾高氏の円熟、会心だ

●09年10月13日 サー・ジェイムズ・ゴールウェイ フルート・リサイタル サントリーホール

ゴールウェイももう70歳。一昨年あたりに聴いたカール・ライスターも近い年齢。人類の至宝のような演奏家も、永遠に現役ではいられないのだから、いつもこれが最後と思っていないとならない。

しかし年齢による渋みもほんの少々加わった気もするのが、それもはたして気のせいかもしれないと思うほど、煌くきらびやかな音色は健在。正統的で野太くがっしりしたドイツ系伝統の音もいいが、艶(つや)やかなこの音色にはまた五感を揺さぶられる。

ところで、ブリッチャルディの「ヴェニスの謝肉祭」を聴いたのは、いったいいつ以来だろう!? めくるめく艶(あで)やかなこの曲を久々に聴いて、遥か自分が10代の頃の空気がたゆたってきた。。

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2009年7月~9月の演奏会(1)

●09年07月19日 ソノール・フルート・ガラ・コンサート オペラシティリサイタルホール

三村園子門下6人によるコンサート。このうち2人が友人夫妻で、結婚式でのデュエット以来で、その演奏を聴く。

しかし同じ門下でありながら、一人ひとりがなんと個性的なこと。そんななかトリでドゥメルスマンを吹いた友人の演奏は、以前録音で聴いたプロコフィエフのソナタ同様、ドイツ正統派の音色と流儀を聴かせてくれた。アマチュアでよくここまでの高みに到達できるものだ。

●09年7月24日 チョン・ミョンフン指揮 東フィル サントリー定期

ブラームスの交響曲1番、2番。11年前の7月にサンタ・チェチーリアで聴いた氏の1番の印象がいまだに残っているのだが、今日の1番は、よくわからずじまいだった。描こうとしている全体像が見えてこないままに終わってしまった

いっぽう、2番はふくよかな演奏とは思ったものの、今日は不調だったのか? と思わせる一夜だった。

●09年8月1日 東フィル こども音楽館 オペラシティ

娘が小学生だった頃は、毎年日フィルサントリーの夏休みコンサートに行っていたことが懐かしく思い出される、今日のこどもマチネ。

また、くるみの花のワルツを聴くと、A管クラを持っていなかったため半音下げてすべてB管で吹き切った高校時代の演奏会を思い出す。花のワルツのソロは、♯だらけになってものすごいフィンガリングだった^^; 

通訳はなんと久野さん。新卒で勤務した音楽系出版社の1つ先輩に、楽屋で久々にお目にかかれました

●09年8月20日 川嶋あい C.C.レモンホール

本人にとって重要な日である8月20日に、今年もこの地でコンサートを開く。2003年が最初の年というから、6年の月日が経ち17歳だった少女は23歳に成長した

そういう背景を聴くと、つい自分のことにも思いを馳せたくなる。2003年8月、自分は今と全く違う状況を過ごしていた。そこから現在までの自分の回想を、彼女の新曲や定番曲があたたかく包んでいく

打上げで本人と一言、二言をかわす。こんな小柄な彼女のどこに、ここまでのエネルギーが潜んでいるのだろうか。人間の強い意志の持つ力を、あらためて感じないわけにはいかなかった。

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2009年9月20日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール公演

昨年2008年サントリー、ムーティーのチャイ5に続き、今年2009年はメータによるウェーベルンとブラ4を聴いた。

昨年は、発売当日にずっと電話をかけ続けたがアクセス先すべて話し中のまま、完売。その後、ヤフオクにてプレミアム付きで購入した。

今年はまず確保、と考え、先行予約にてエントリー。無事当選したものの、S席にしてなんと前から3番目。サントリーでオーケストラを聴くこと、すでにアンカウンタブルな回数だが、そんな無謀な席を自ら選んだことはこれまでなく、これが初体験の、出たとこ勝負になってしまった。

さて開演。

海外オケの来日公演では、団員もその国の聴衆を観察するのが習慣なのか楽しいのか、いつも観客をウォッチするメンバーの様子を遠目から眺めていた。

しかし今日はまさにその当事者^^; 団員たちと目が合う合う。こちらがウィーンのヒトたちが珍しいの同様、彼らもまたトウキョウのヒトが珍しいのだろう。

この舞台至近の席。サプライズなメリットを何か期待したのだが、やはり予想通りデメリットだらけだった。

たとえて言うなら、遠景から眺めると風光明媚な海岸を訪れたのに、間違って波打ち際まで近付いてしまい、大波の迫力だけしか見られなかったとでも言おうか。

ほんの少々の距離を置けば気にならないだろう、微妙なズレ、歪みといったものがはっきりとわかってしまう。さらにコンマスの音が目立ち、その他のヴァイオリンの音がこれに付随して聞こえてしまう。管楽器はぼやけた音で、しかもどこの反射音から聞こえてくるのかわからない。

そんな状況だから、肝心の音作りがどんなふうだったのか、これもよくわからない。ただ、ブラ4では、メータが求心力となって団員のテンションをあげていく、というところまでは行ってなかったような気がした。

ブラームスはまず堅牢さがあって、ブラ4はそこから絶望への誘惑というような「甘やかな」部分と鬩ぎ合う必要があると思うのだが、そのあたりもなんだか無難に過ぎてしまったのかとも思う。

ウェーベルンでは、団員の作曲家への矜持を感じたものの、パッサカリアを除く2曲の十二音音楽自体が、個人的に年齢を重ねたところで理解できるものでも感じ入ることができるものでもないため、如何ともしがたい。

そんなこんなで、まともな席で聴いてみたかったと思いつつも、終演後の観客の拍手の止みがかなりあっさりしたものだったことから、大きな満足感をもたらした演奏会ではなかったと考えるのが妥当なのだろう。

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LUXMAN D-05を購入(2)

< 「LUXMAN D-05を購入(1)」から続く >

向かった先は、2年前に音楽出版社勤務時代の後輩から紹介してもらった、秋葉原テレオン

購入候補は、デノンDCD-SA11、同じくデノンDCD-1650SE、マランツSA-13S2、そして購入に至ったLUXMAN D-05の4機種だ。DCD-SA11はこの中では高価格だが、後継機の発売が近く、割引率が高いのだそうだ。

スピーカーは、現有機器のハーベス、コンパクト7の後継機。アンプは、現有のエレクトロコンパニエの適当な代用がなく、オーソドックスにデノンPMA-SA11とした。

On_bach_2試聴CDは、いつも使うシャイー&クリーヴランドの春祭に加え、現状のマイ・ベスト・オブ・ベスト、ヒラリー・ハーン、バッハのソナタ&パルティータの2枚。

まずはデノンDCD-1650SE。デノン定番の1650であり、AEのモデルチェンジ新製品ではあるものの、さすがに今回の他3機と続けて聴いてしまうと、聴きやすいがすべてにまとまり過ぎ。格の違いを見せつけられて(聴かせつかれて?)しまった。

またデノンDCD-SA11は、あくまで音源に忠実な誠実さは4機種随一だった。が、かつてサンスイの最高峰プリメイン、907リミテッド(だっけ?)と現有のエレクトロコンパニエを聴き比べたときのことを思い出してしまった。忠実過ぎて、本人らしさがよくわからなかったのだ。

01_4そして、マランツSA-13S2LUXMAN D-05。それぞれに基本に忠実ながら個性を持つこの2機種は甲乙つけがたかったが、最終的に、ヒラリー・ハーンのバッハの音の好みで、LUXMAN D-05に決めた。音のピュアさ、自由な軽やかさ、宇宙に、永遠につながる感じがわずか一歩勝っていたのだ。

しかしオーディオは、そもそも真剣に聴いて初めてわずかな違いがわかる世界。まして同価格帯の国産製品同士は、違う違うと言っても針小棒大な表現によるものだ。だから、好きなディスクを聴いたときの五感、体感、インスピレーションで決めるしかないのだろう。

ところでシャイーの春祭については、そもそも最近オーケストラは生でばかり聴いているので、この組み合わせであっても少々無理めな感じがしてしまった。

あ~スピーカーも買い替えたい!! でもでも先行きの生活すら保障されていない平成な状況を何と心得る(怒)! と自分を戒めたい気分の、盛夏の夕暮れでございました・・・

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LUXMAN D-05を購入(1)

09年5月に、「ルボックスのC221ついに全壊」の記事を書いてから3ヶ月。ようやく、新しいCDプレイヤーを購入した。

このとき全壊と書いたものの、レンズクリーナーを何回かかけながら再生させると、意外に止まらずいくこともあり、そのまま騙し騙し使用していた。が、ここへきて、さすがにそれも限界になってきた。

先日はなかなか好調で、愛聴盤であるバーンスタインNYPOのシベリウスの2番をいい感じで聴いていた。ところが、4楽章ラスト2分で突如停止。すっかり自分と音楽の間に機器が介在することを忘れて音楽に入り込んでいただけに、これはつらい。

そこでオーディオ店の知り合いにもろもろ相談したところ、手持ちのルボックスの修理は不可能かもしくはかなりの費用がかかることもわかり、購入を決心した。

しかし15年前に、現在の海外製品でオーディオを一新した時から、日本も変わり、オーディオの世界も変わった。平たく言うと、ますますハイエンド製品とその他もろもろの間に、二極化が進んだようなのだ

手持ちのルボックスと同程度の、買値20万台の輸入CDプレイヤーには、手頃な製品がないと言う。なるほど、オーディオの趣味を続けていて今も海外製品を買うような人は、広大な土地建物を持ち、将来にわたり金にも不自由しない人に限定されてきているのだろう。だから、マーケットに対応して製品もハイエンド化。

いっぽうそうでない人たちは、以前はオーディオに興味はあったが、今さらそんなものにカネをかけず、パソコンや携帯型音楽プレイヤーやラジカセで音楽を聴いているに違いない。

確かに平成の時代と自分の環境を鑑みると、向こう10年ですら、生き抜けるかどうか見通しが立たない。今が昭和なら、終身雇用に右肩上がりの給料にそこそこの退職金をあてに、ここで一気にグレードアップをはかったのだろう。が、そんな夢のような時代は、すっかり郷愁の彼方となった。

ということで二極化コアマーケットから中途半端な自分は、ひとまずは現状維持もしくは若干のグレードダウンも視野に入れ、今日、秋葉原のオーディオショップに向かったのであった。。

( 「LUXMAN D-05を購入(2)」に続く)

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