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09年6月26日 東フィルサントリー定期 『椿姫』 コンサートスタイル・オペラ

指揮:チョン・ミョンフン

コンサートスタイル・オペラ。ガラ・コンサートや、イベント的な演奏会で似た類のものは聴いたことはあるが、このような本格的なスタイルでは、初の体験だ。

今回演奏会を聴くまでは、「本物のオペラの縮小版」的な捉えかたをしていた。しかし実際に聴いてみると、そんなイメージは覆された。

オペラではピットにいるオーケストラが、ここではオケの演奏会の位置にいる。当然音を聴くにはベストポジションだ。

またオペラでは、衣装を着てその他大勢として演技をしている合唱が、合唱付きのオケ曲の位置に居並ぶ。こちらも当然、各パートがまとまって、ビシっと聴こえてくる。

もちろんソロ歌手も、演劇的表現の必要がない分、歌だけに専念することができるはずだ

つまりこのスタイルは、オペラから演劇的な要素を一切排し、音楽のみを純度高く抽出することができるものなのだと、聴いているうちにわかってきた。

「CDで聴く」オペラを生演奏で聴いている、という感覚が一番適切なのだろう。

しかし、今日もミョンフン氏は、弦を歌わせみごとに鳴らす。氏の手にかかると、それが東フィルだということを忘れてしまうことがときどきあるが、今日もそんなレベルの高さだ。

ところどころで、各パートで音が揃わないところもあったが、そんなことはトータルな表現に何も影響を及ぼさなかった。音が艶々ときれいに輝いていて品が高い。

また、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンの主役3人は、海外の歌手で固める。ここも細部を論えばいろいろあるものの、総論的にはOKと言っていいだろう。ただ、サントリーホールとの相性のせいか、音がダイレクトに鼓膜に響き過ぎのきらいもあった。

またまた最後にこんな話しで恐縮だが、LC3列目のご年配のご婦人は、冒頭のデリケートな第1音が鳴るまさにそのタイミングで、袋をガサガサガサガサ鳴らし続け、P席にいた友人によると、指揮者はそのために上げたタクトを2度下ろしたという。

音響から選んだ今期の東フィル定期のLC席は、これで開幕3ヶ月連続でこんなレベルの一見サンに見舞われた。清濁あわせのまざるを得ない仕事から解放される平日夜の楽しみに、こんな理不尽を排除できる仕組みはないものだろうか。。。

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09年6月11日 トリオ・ディ・クラローネ 演奏会

王子ホール

メンデルスゾーン:コンツェルトシュトゥック1番、2番

シューマン:3つのロマンス、おとぎ話、幻想小曲集ほか

しかしメンデルスゾーンのコンツェルトシュトゥック1番、2番。こんなレアな曲を、こんな小ホールで、ワールドメジャーなザビーネ・マイヤーが演奏するとは、いやいや、生きてるといいこともあるものだなと、購入。

もちろんこの曲を知るほとんどの人には、ウェストミンスターのウラッハ盤が刷り込まれていることだろう。演奏者からしても、このスタンダードとも言える演奏と、自身の解釈を対比しないわけにはいかない。

マイヤーはやってくれた。アゴーギクにしろアーティキュレーションにしろデュナーミクにしろ、ウラッハ盤の呪縛を全く感じさせない。堂々と豪快で音圧・音量抜群でキレのいいコンツェルトシュトゥックは、耳に新しく斬新そのものだ

CD録音で聴くマイヤーは、オーソドックスな定番な印象があった。いっぽう数年前にサントリー聴いたモーツァルトの協奏曲では、オリジナリティを、やたらと楽譜にないフレーズを繰り出すことで表現しており、どうも納得できなかった。

しかし今日の堂々オリジナル真っ向勝負のメンデルスゾーン。古き良き時代のウィーンの香りがするウラッハ盤の解釈を全く新しく塗り替えることに成功した演奏には、感服。素晴らしい! 

いい演奏会だった。

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09年6月10日 クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

サントリーホール

バッハ:パルティータ2番、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ32番、バツェヴィチ:ソナタ2番、シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲

この価格設定は強気だなと思っていたところ、さすがに空席が目立つ。1階席の通路後方R側は、7割方あいていた。

全体を通して、耳に馴染んでいるバッハとベートーヴェンの2曲は、あまり印象に残らなかった。いっぽう、ともに初めて聴くバツェヴィチとシマノフスキには、心を動かされた

前者では、大作曲家と大ピアニストが対峙していた様相であったが、後者ではそれが一体となっていたとでも言えばいいのだろうか。

ポーランドの作曲家の曲をポーランドのピアニストが弾いているから、という安易な結論に帰結するのはいかがなものかなとは思うものの、この2曲を通して描かれる心の葛藤は、時代や国を超越してひしひしと伝わってきた

シマノフスキの中盤以降、近現代的な『展覧会の絵』とでも思わせるスケール感が、圧巻だった

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09年6月3日 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 演奏会

東京文化会館、指揮:アイヴォー・ボルトン、ピアノ・ラルス・フォークト

ハイドン:交響曲101番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、交響曲第41番

23日のデンマーク・ロイヤル・バレエ団に続いて、再び東京文化会館へ。かつては演奏会のほとんどが文化会館だった時代もあったが、最近は此処へ続けて来ることは、非常に珍しい

会場は8割が埋まる盛況。そんな安価ではない価格のことを考えると、やはり日本人にはモーツァルトやウィーンの愛好家が、一定数存在するのだろうか

編成は、弦の各パートが2~4プルトと、室内管より少し大きいぐらいの編成。

最初はハイドン。初めて聴くこのオケの音に、まずかなりの違和感があった。このホルンとトランペットはザルツブルクもしくはウィーンの伝統的な楽器なのか、やたら音が粗い。弦と木管は現代の楽器のように見えるが、全体的に古楽っぽい響きだ。

残念ながら、ハイドンはあまり琴線に響くところがなく、仕事の疲れから睡魔が勝ってしまった

続く20番。ピアノのラルス・フォークトの、クリアでしっかりとした情緒に流されることのない展開が心地よかった。が、ここでもピアノとオケのトゥッティにおける音に違和感が残った。

これまで聴いてきた国内オケ海外オケ問わず、モーツァルトの音とはこういう感じ、という範疇を大きく超えている。これが地元で伝承されている、18世紀からのモーツァルトの音なのだろうか

ところが休憩後の41番で、覚醒した。音は変わらないのだが、それが逆にモーツァルトの悪魔的な側面を強烈に焙り出す。モーツァルトの音楽には、ところどころに時代を超えてしまった未来の音が垣間見えるが、この4楽章も、なんだか立ち入ってしまってはいけないような音世界が展開される

今日の演奏会は、すべてこの4楽章で魔界の扉を劇的に開くために構成されていたのはないかと思えるほどだ

アンコールは、ボルトンが愛嬌たっぷりにフィガロやモーツァルトのコアな小曲を奏で、さすが本場と思わせるなか、和やかな雰囲気のなかで幕を閉じた。

それにしても今日の観客は、フォークトのアンコール終了後、音楽が終わり彼が完全に緊張感を解くまで固唾をのんで見守っていた。そして湧き上がるような拍手。久々に(というか最近ほどんどない)民度の高い観客が素晴らしかった。

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