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快気祝いとデジャヴと予知夢

ということで、おかげさまで結石から回復して1週間が経った。

先週の金曜は、友人が快気祝いをしてくれた。場所は恒例の新宿のインド料理店S。ここのところ、バイキングが定番だ。カレー8種、ナン、タンドーリチキン、サラダが食べ放題。

友人「病み上がりで、こんなもの食べていいの?」

私「え? いちおう、医者は普通にしていいって。。」

友人「カレーを8種も食べるのは、普通にしてることになるのか疑問だ」

まあ、そんなことはおいといて、久々に健康な状態になって1週間仕事して、金曜の夜に友人とビールとインド料理。あああ。。生きててよかった。そんな瞬間だ。

夜10時を過ぎる。友人は土日分の仕事を会社に忘れてきたという。

普通の40代の社会人なら、ではここで、ということになるのだろう。が、飲んで食ってるうちに、中学・高校時代のノリになってきて(彼とは中学以来の友人なのだ)、最近場所が変わった彼のオフィスまで付き合うことになった。

場所は、渋谷区の閑静な住宅街。こじゃれた道を歩いていると、ふっとあることに気が付いて立ち止まる。

私「あ!」

友人「なんだなんだ、どうした」 (・・・彼は昔から心霊関係に弱い^^;)

私「この光景こないだ見た。夢で見た見た」

友人「え? デジャブ現象?」

私「そうそう。この道をまっすぐ行くと突き当って、4階建てのビルの2階がオフィスじゃない?」

それは、そのまま当たりだった。少し背筋が寒くなった。

私「で、ビルの色は茶色で、その向こうには草原が(笑)広がってないよね?」

友人「いやいや、ビルは白。草原なんてないっすよ」

しかし、道を突き当たると隣りのビルが茶色。草原はもちろんないが、その一角は、国有地の林のようなエリアが拡がっていた。少しずれただけで、要素はあったのだ。。

デジャヴ現象とは、「いつかこのシーンは見たことがあるような気がする」という現象だ。そうすると今回のは、違う。明らかに1ヶ月ほど前に、友人と二人で新しいオフィスに行く夢を見た。

これは「予知夢」だ。

これまでデジャヴ現象はたびたびあったが、予知夢は、生まれて初めてのことだ。

用を済ませ駅に戻る。帰りの小田急線は、月末の金曜夜11時台にもかかわらず、異常に空いていた。

友人「さっきから、どうも異空間に入ってるのかも知れん」

私「この小田急線、今、昭和42年あたりだったりして」

友人「そしたら、百合ヶ丘の次は柿生だな~」

先のことはわからない。この先、予知夢が増え、いつかタイムスリップすることがあるのかも知れません。

(と、いつのまにか、セブンのエンディングふうになっていました^^;)

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結石ようやく消滅、全快

今日の午後、今回5度目の病院に行き、レントゲン検査。その結果、ようやく結石の影が映らない状態となり、前回の手術でもろくなった石がほぼ排出されたようだ。

今週は、日曜夜に最後に痛んで以来、月火水と痛みがなかったが、どうやら全快となったようだ。

まあ、命に別状のない必ず治る病気だし、精神的に重く滅入っているときよりは全然ましではあった。

しかし、自身、「ただすごく痛いだけの病気」と形容している通り、約2週間、本当に痛く、憂鬱な毎日だった。

やっとこの憂鬱から解放されるに至り、昨日今日と東京はとてもいい天気! なのだが、気付くと夏休みも有休も消化してしまい。。今年は、痛い痛いと言っているうちに、もう夏が終わってしまった。。

ともあれ、ご心配いただき、コメントやメール頂いた皆様、本当にありがとうございました! 復活します!!

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結石の再手術とパソコンの修理

というわけで今日は午後から、「アキ待ち」で、結石の再手術に行ってきた。腎臓の下より、下腹部まで落ちてきたほうが、手術はやりやすいという。

前回は、病院地下の最新鋭の機器だったが、今回は泌尿器科横の以前からあるほうの機器を使用。やはり約1時間前後を擁し、結石にフォーカスし、衝撃波を与え続ける。

結果、レントゲン上では、石がまだ同じ場所に同じ大きさで映っているものの、だいぶもろい状態にはなっただろう、とのこと。う~ん、まだ100%は喜べないのか。。

その後、かつて急性膀胱炎で苦しんだとき以来の、真っ赤な血尿が出ること数時間。。いま、ようやくそれが桜色に薄まってきたが、別の意味で、下腹部が痛い感じ。。

ふ~。。発症が先週の火曜日だから、もう11日め。。この土日ぐったりと休んで、全快と行きたいところだが、はたしてそれで許してくれるだろうか。。

■自宅パソコンを修理に

ところで、自宅パソコンのバッテリーまわりに異常が発生しており、明日から1週間~10日ほどメーカーに修理に出すことになりました。

コメントのお返事などが滞るかも知れませんが、よろしくお願いします!

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まだ続くしつこい結石。。

一昨日、結石の破砕手術を受けた。1時間で6000回の衝撃波を打ったが、破砕し切れずだった。

で、昨日、1週間ぶりに仕事を再開。体力が落ちていたため、夜にはふらふらしたが、一日とくに痛みもなく、久々にすっきりした感じだった。

が、夜の8時頃、下腹部が嫌な感じで痛み出す。この痛みは覚えがある。腰の辺りでとどまっていた石が、ようやく尿路の出口付近まで落ちてきたと思われる。

もちろん痛くて不快なのだが、ここまで来たらもう少しの辛抱で解放されるはずと、どちらかというと喜びが勝った。

しかし、これが甘かった。

とにかく今回の結石は、しつこ過ぎるぐらいしつこい。普段は、腎臓から尿路を通過して、膀胱に落ちて出ていくまでが数時間だ。

しかし今回は、腎臓の下で1週間とどまり続け、破砕手術をしても砕けず、下腹部まで下りるのにさらに1日半もかかり。。そして、ここからも、すんなりと行かない。

昨日の8時からすでに15時間。下腹部の同じ箇所が痛み続ける。ボルタレンもあまり効かない。

病院も、今日は手術がいっぱいいっぱいと断られた。明日の午後に行って、確約はできないが、合間ができたらそこで対応、という。

命に別状がない、ただ痛いだけの病気だから仕方ないのだろうか。。

仕事も滞りまくり。あ~。。午後からどうしよう(涙)。。

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結石の破砕手術へ。

ということで、今日は結石の破砕手術に行ってきた。

通常、腎臓から落ちてきたら、数時間で尿路から体外に排出される結石。しかし今回のはしつこい。もう今日で1週間もとどまったまま、痛みをもたらしている

初めてこの手術を受けたのは1997年だから、ちょうど10年前。レーザーで体外から衝撃波をあてて、結石を砕くのだ。

手術といいつつ、普通の診察のように病院に行き、1時間ほどで終わってそのまま帰れる、いたって簡単なものだ。

もちろん、血尿は出るし、衝撃波がだんだん痛くなってくるのを我慢するので、かなり疲弊はするのだが。。

今日は、前回はまだなかった、最新の機器での手術。腰を水に浸し、身体を固定し、規則的な間隔で衝撃波をあてる前回同様、途中からかなり重たい痛みを伴ってくる。

そして、今回のしつこい結石は、ここでもしつこさを発揮。。通常、とっくに砕けるはずのところが、なかなかそこまで至らない。

約1時間で、6000回の衝撃波。とうとう、身体の限界を超える時間と回数をもってしても破砕されず。。石にヒビが入っていることを祈りつつ、再び、経過観察に。。

今回とても親切だった担当の女医の先生も、多少、申し訳なさそうな感じでした。。

しかし、結局もともとの私用を取り止めた3日も含めまる7日間、3度通院しながら自宅まわりでだらだらと過ごすことになってしまった

そしてまだまだ全快とは至らないまま、明日から仕事。。まともに職場復帰できるかどうか、かなり不安です^^;

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「ハチミツとクローバー」映画版と原作

前回の記事に対し、皆様からお見舞いのコメント、メールなどなど頂き、本当にありがとうございます。このままいけば、明日手術で元に戻る予定です。またご報告します。

ところで、寝たり起きたりしているなかで、気になっていた昨年2006年公開の「ハチミツとクローバー」の映画版をDVDで観た。そしてそのあと、改めて原作10巻を通読した。(原作を読むのは2度め)。

その感想の比較を一言で表すと、

深い世界観を持つアルバム」と「その代表曲のサビだけ集めたプロモビデオ

と言ったら言い過ぎだろうか。また、今回観た順番で表現を変えると、

クルマで一気に上った山の頂上に、改めて森の匂いを感じ、木漏れ日にあたり、土を踏みしめ、五感を刺激されながら徒歩で到達した」、といった感じか。。

なにしろ、原作ではかなり濃くキャラ付けされた登場人物が、すべて薄まって普通の人になっている。それぞれの抱える心の奥深い葛藤も、なんだかあっさりと雰囲気で流している

はぐの芸術性と生来の性格との葛藤、あゆの深く激しく切ない想い、リカの絶望からくる儚さ。。そんなものが、どれか一つでも深く掘り下げられればと期待したのだが。。

要所要所の重要な台詞が、切り張りのようにちりばめられる。う~ん。なんだか。。

個人的にいつものごとく琴線に触れたのは、映像と音楽が相乗効果を生み出すシーン。なかでも、オペラのアリアがかかったはぐの創作の場面。ネットで調べてみると、

アルフレード・カタラーニ作曲:オペラ『ワリー』より第1幕「さよならふるさとの家よ」

だそうだ。1854年生まれ、39歳で早世したイタリアの比較的マイナーな作曲家。自宅で音源を探してみたが、見当たらず。さっそく音源入手に動きたくなってます。

しかし今の時代は、挿入曲がすぐネットでわかる、いい時代になったものだ、とつくづく思います^^

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いきなりの自宅療養生活、長引く

■持病の結石が発症

いきなり火曜の夜から自宅療養生活に入った。とは言っても、そんなに大袈裟な話しではない。

自分は腎臓に石ができやすく、それがときどき、尿管に落ちてくる。いわゆる、尿管結石というやつだ。命にも何にも全く支障はない。けれど、めちゃくちゃ痛い。

■本気で死ぬかと思った23年前、初発症

23年前に初めてこの痛みを体験したときは、原因がわからなかったこともあって、正直、このまま死ぬのかと思った。

土曜の昼下がり、三軒茶屋でお茶をしていた。すると、なんとなく背中が痛いのに気付いた。なんで背中が痛いのだろう?と思っているうちに、じわじわと痛みが強くなってきた。呼吸をするのも一苦労になってきた。

その痛みは、徐々に背中からお腹にまわりこむように移行しつつ、もはや立っても座っても寝てもいられないような激痛になっていった。そしてそれから悶絶すること2時間、突然痛みはすっとフェイドアウトした。石が膀胱に落ちて、あとは排出されるだけになったのだ。

■結石と付き合って23年。。

あれから、23年。何年かに一度、この痛みと付き合わざるを得なくなった。とくに、転職をしたりとか、生活環境が変わって、知らないうちに緊張を強いられる状況のときによくなる。

10年前には、レーザーによる破砕手術も経験した。生まれてこのかた、最初で最後の手術だ。かつては、開腹しないとできなかった手術が、最新機器の開発によって身体の外からの施術で事足りるようになったのだ。

■石ができやすい食生活

医者から、極力石ができないようにするために、控えたほうがいい飲食物をいくつか聞いた。珈琲、紅茶、牛乳、肉の脂身。。

好きなものばかりだ。酒好きが寿命が縮まっても酒をやめる気がないように、自分もこの4つのない生活は考えられない。

■ボルタレンが効かない!

話しは元に戻る。今回も、それは突然だった。夜の9時前、右の背中に違和感が生じた。来るな、と思ったら、またたくまに激痛になった。もう慣れたもので、手持ちの痛み止めの座薬、「ボルタレン」を挿入する。

しかし、今回のは、かなり強烈だった。普段は、このボルタレンで痛みが治まるのだが、今回はなかなか効かない。しかも、効く時間がわずか1時間強だった。その間だけ眠れたが、あとは痛みに耐えざるを得ない。5時間後にもう1粒挿入したが、やはり効いたのは1時間だけだった。

■行きつけの病院へ。。

水曜早朝、この病気で行きつけの病院に、急患扱いにならないか、と電話をする。しかし、回答はNO。専門医がいる一般受付の時間に来てくれ、と。正直に、手持ちの痛み止めを処方していることを話したのがまずかった。

息も絶え絶えに、右の腰をさすりながら、9時に病院へ。痛みを訴えたのだが、結局、診察までに2時間弱を要することになった。

レントゲンの結果、今回の石は、4ミリ大。これが腎臓のすぐ下で止まっている。

■破砕手術は保留

10年前にやった破砕手術。当時は、健康保険加入本人は、1割負担だったが、今は3割負担。金額にして、7万円だそうだ。ほっておけば、一両日には体外へ出ると予想されるから、医者としても、たいていは痛み止めを出して、様子を見ることをおススメしているそうだ。

さらにこの日は、早朝から泊まりで出掛ける予定が入っていた。この時点では、遅れて行くことも視野に入れていたので、夕方の手術は見送り、一両日での排出を期待して、痛みは薬でなんとかすることとした。

■それからもう4日。。

。。。そして、今日はもう金曜。泊まりの予定も中止せざるを得なく、白紙にした。昨日からまた痛みがひどくなっている。発症以来、4日間も石が動かないのは、これが初めてだ。全くの想定外。もう一度、病院に行く。

再度レントゲンをとるが、石の位置が全く同じ。ここまで動かないことも珍しければ、動いていないのに痛みを生じているのも珍しいということだ。

で、もう7万でもなんでも手術をすることにしたが、新しい機器が突然の不調。旧型の機器で、1時間ほど石の位置を確認するが、最も捉えにくいところに位置しているようで、こちらでの手術は無理、という顛末となった。手術の予約は、連休明けの火曜。。

■寝たり起きたりのエンタメコンテンツ生活。。

ということで、寝たり起きたり診察を受けたりという生活が、さらに4日続くこととなった。

おかげさまで、じゃないが、ずっと録画したままだった、「アリー・マイ・ラヴ」を10話分ほど消化したり、HDDにたまっている映画を見たり、東野圭吾の新刊「夜明けの街で」を読んだり、断続的な痛みに耐えつつ、エンタメソフトを堪能している。

今まで入院経験はないのだが、自由がきく自宅療養と割り切って、こんなだらだらした毎日を送るのも、実は貴重な時間なのかも知れません。。^^;

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ウルトラセブン第48,49話(最終回)「史上最大の侵略 前編・後編」(ゴース星人、バンドン)

★このブログが本になりました!★
2013年4月25日発売!

Photo_4  『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』
(青山通・著、アルテスパブリッシング・刊)

冬木透氏にも取材、最終回の音楽秘話も掲載!
⇒著者による最終回+ベスト8話の内容と音楽を詳述!

☆Amazonでも発売中

◎特別製作 セブンしおり付き

出版社HP(http://www.artespublishing.com/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●あらためてセブンに感謝。。

■ストーリー

Photo_53侵略者との戦いに疲弊したセブン(ダン)は、脈拍360、血圧400、熱が90℃という状態に陥る。そんな体調のなか、朦朧としたダンは、ミスでゴース星人の地球上陸を許してしまう

ダンは、炎に包まれた警備隊員たちを救いゴース星人操るバンドンを倒すべく、セブン上司に止められるが、セブンに変身。瀕死の状態でバンドンを倒すも、さらに重症を追う。ダンは、レントゲンで秘密がばれるのを恐れ、防衛軍から抜け出す。

ゴース星人はいつのまにか地底に基地を作っていて、空と海の守りは堅いが地底はまったくの無防備」という人類の弱点を突く。人類は降伏に応じないため、地底ミサイルで世界の主要都市を破壊されてしまう。残るは東京。。

防衛軍は、ようやくゴース星人の基地を発見。時限爆弾を積んだマグマライザーで爆破、壊滅させる

ダンは、アキオ少年の自宅や隠れ家をさまよっていたが、アンヌに見つけられる。そしてアンヌに自分の正体を明かし、別れを告げ、セブンに変身。捕らえられていたアマギを間一髪で救出したセブンは、再び現われた改造バンドンとの最後の戦いに臨む。

アンヌから事実を知らされた防衛軍のメンバーたちは、ホークで捨て身の援護を行う。セブンはかろうじて勝利し、明けの明星が輝く群青色の空の彼方、M78星雲へ帰っていった。。。

「ダンは死んで帰っていくんだろうか?」

いや、「ダンは生きている。きっと生きているんだ。遠い宇宙から俺たちの地球を見守ってくれるさ。そしてまた、元気な姿で帰ってくる!」 

■7歳の頃~その衝撃と怒り

その日は、1968年9月8日。僕は、小学2年生、8歳になる少し前だった。

あんなに強かったセブン。その強さは、視聴率低迷の一因にまでなるほどだった。すぐに赤いランプが点滅するという弱みを持つウルトラマンに比べ、セブンは、寒さとロボットに弱い程度だった。

そんなセブンが、突如力を落とし、バンドンごときに悲壮な戦いを演じてしまう

前編の戦いでは、ウルトラビームが途切れてしまい、バンドンに届かない。そのことに驚愕し、指を震わせ、がっくりと頭を垂れてうなだれるセブン。なんと切ないことか。

強さと切れ味の象徴だったアイスラッガーが、泥にまみれて踏みにじられる。地べたをのたうちまわって拾い、なんとかバンドンを倒す。

子どもの僕は、地団駄を踏んだ。セブンがいつもの強さなら、ゴース星人やバンドンなど恐るに足りない。何が「史上最大」だ、と。

■7歳の頃~恋と共生と別れ

ウルトラマンでは、ウルトラマンとハヤタが入れ替わっていた事実を、ハヤタ本人ですら認識しないまま終わる。ハヤタとフジ隊員の間には、特別な感情はなかった

しかしウルトラセブンでは、ダンとアンヌはずっといい雰囲気で、最後もダンはアンヌにだけ自分の正体を明かし、去っていく。

煎餅を食べながらサハラ・ラリーの映画を見て、向ヶ丘遊園のコーヒーカップで綿菓子も食べた(第28話)。

本部に事後報告もせずに津久井湖でモーターボートにも乗った(第41話)。

休暇に上司公認で、二人で入田浜の海に泳ぎにも行った(第42話)。  

ユキコさんにヤキモチ焼いてタンポポを吹き飛ばしたりもした(第38話)。

そんなアンヌへの告白。。

「僕は、僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」・・・「びっくりしただろう?」

「ううん、人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンにかわりないじゃないの。たとえウルトラセブンでも!」

まさに「異なる種族との共生・共存は可能なのか」という、セブンを通貫する深いテーマの集大成だ。同時に、ダンとアンヌが心の深い部分で繋がったシーンでもある

様々な点において、子ども向け番組を超越していたセブンだが、恋愛感情の描き方とその落しどころにおいても、それは同様だった

7歳の僕はセブンを通して、女性は男を騙して利用することも、女性は男性を包み込むように愛することも知った(笑)。

■7歳の頃~クラシック音楽の原体験

アンヌへの告白と同時に鳴り響く、ディヌ・リパッティのピアノの、シューマンのピアノ協奏曲、1楽章の冒頭。それからのラスト10分間は、この演奏がセブンのオリジナル音楽と織り成すように流れ、感動的なエンディングを彩る。

この美しくも哀しく切迫した推進力を持つ感動的な音楽は、いったい何なのだろう、と探し始め、曲の判明までに4年、演奏者・録音データの判明までに、さらに3年の歳月がかかることとなった。そのことは、僕にクラシック音楽の本質を教えてくれることとなった

(この顛末は、→ 「【ブログ開設1年】リパッティのシューマンとウルトラセブン最終回 」 1~3の記事をぜひご参照ください。)

■長年の2つの疑問に仮説が

mixiのセブンのコミュにおいて、長年の2つの疑問に仮説が提示された。なかなか興味深いので、ここでも紹介したい。

まず、フック星人ではあんなに元気だったセブンが、なぜ突然瀕死の状態になったか、だ。

これは、「セブンの各話は時系列的に順不同であり、また、全49話は1年間で起きたことではなく、数年の間の話である」という仮説で説明できるというのだ。

最大の根拠を、抜粋・引用してみよう。 「月世界の戦慄」でクラタと再会したキリヤマは、「一緒に宇宙に出るのはザンパ星人を滅ぼして以来3年ぶり」と言う。となると「V3から来た男」はそれより前のこととなり、少なくとも第13話から第35話までで3年以上が経っている、というものだ。

また、アンヌの髪型も突然ショートやロングになるのも、その証左だと。

そう考えると、時系列的に最終回の前に起きた話は、大きなダメージを負った、第35話「月世界の戦慄」→第38話「勇気ある戦い」あたりだったのだろう

もう1つは、ゴース星人が、いつ地底基地を作ったのだろうか、という問題だ。

これには、実はユートムの地底基地を修復して再利用したのではないか、という仮設が提示されている。謎だらけで突っ込みどころだらけの第17話「地底GO! GO! GO!」は、最終回への伏線だった、という訳だ。

■終わりに

東京MXTVの放映をペースメーカーとして書き続けてきたセブン全49話に関する記事も、これが最後

最初の3話は、一言コメントだった。第4話から少し長い記事にした。キングジョーの前編後編を超えたあたりから、だんだんさらっと書けなくなってきた

書籍、ネット、DVD、過去の自分のノート等の資料にあたったうえで、1度通しで見て、2度目を見ながら書いて、3度目を見て書いたものを確認・修正しアップする、という数時間を擁する作業になってきた

プロテ星人からあと、自分のなかでも存在が大きい作品が目白押しになってくると、どこをどう書くか考える時間が、さらに増えた。もはや、雑誌等に署名原稿を書くときと全く変わらない状態になった。

スタートから1年。改めてセブン全話を数度ずつ見て、自分の過去と現在によって濾過したうえで文章にする作業は、1967年から2007年までの自分の40年を確認することでもあった

こんな素晴らしい作品が生まれ、放映され続け、多くのファンとともに慈しむことができることに、改めて感謝したい。

(と終わりたいですが、最初からキングジョーあたりまでは書き直したい気分なんです^^;)

(写真:「怪獣wiki特撮大百科事典」より)

→他の作品は、当ブログのウルトラセブンカテゴリーでどうぞ!

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