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Cocco「風化風葬」と「突然やってくる」音楽の感動

先日、カフェにいたら、Coccoの「風化風葬」がかかった。この曲は、Coccoのなかでも、たぶんいちばん好きな曲。

「どんな強い気持ちを持っていても、時間とともに誰もがすべてを忘れ去ってしまう」・・・そんな人と世と時の無常を切々と歌ったこの曲を聴くと、陶然というより茫然自失というか、魂を持っていかれたかのような気分になる。

ところでこの曲に限らないが、自らの意志でCDで聴いてももちろんいい曲なのだが、たぶん意図せず突然聴いたほうが、感動が大きい。音楽を聴く際の「受動の感動」の不思議だ。

自分でCDを聴く場合は、当然このあと何がどうなるのか前もってわかっている。いっぽう、ラジオや有線放送でかかる曲は、こちらは全く意図していない。

心の準備がないから、イントロが流れた瞬間から、自分の五感が急激に刺激される。その曲が流行っていた頃の様々な出来事、よく聴いていたときの気持ち、そんなものが、一気に自分の中からあふれ出してくる。

もちろんライヴでも、その曲は突然始まって感動をもたらす。でも、その曲が演じられるのは必然で、意表をつかれた感動では及ばない。

また、CDやi-podのランダムプレイでも、突然かかる疑似体験は可能だ。しかし、自分の意図が入り込む限り、限界がある。

「突然やってくる感動」。もっと言うと、そのときの自分の受け入れ状態で、さらに効果は高まる。五感が鋭敏になっていて気持ちがからっぽだったり何かに揺さぶられていたり、なんてときはベストだろう。

このように考えると、ドラマや映画の絶妙なシーンで好きな曲がかかると印象が強くなるのも、納得できてしまいます。

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「音楽(クラシック以外)」カテゴリの記事

コメント

映画を観る一番理想的な方法は、その作品に対する情報を限りなくゼロにすることだと思っています。少しでも先入観を持ってしまうと、それが映画の本来の良さを否定する可能性が出てくるから。
今回の日記の話は、既知の楽曲に対してですが、感動レベルを最大限にするための手法としては、どこかつながっているような気がします。
ただし、こういう愚直な方法だけでは、本当の感動にはなかなか辿り着けない可能性も高くなる。何故なら、世の中に存在する映画は限りなくあるからです。音楽だと、さらに大きな数字となりますね。やはり理想は理想でしかないのでしょうか。

投稿: alcoa01 | 2007年1月15日 (月) 23時49分

音楽、映画、小説、あらゆる「作品」について、2つの対極的な鑑賞方法があると、というのは定説ですね。
1つは、コメントのような、極力周辺情報を排除して作品のみと対峙する方法。
もう1つは、作品が生まれたときの時代背景や作者の状況や製作意図を徹底的に理解してから臨む方法。
僕も前者が基本ですが、時としてあまりに個人的で的外れな感想を持ってしまうことがあり、そこが留意点だと思っています。

投稿: paienne | 2007年1月16日 (火) 20時36分

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» Cocco(こっこ)大好き [Cocco(こっこ)大好き]
2001年に活動を休止したCocco。再開したときは本当に嬉しかった。また声が聴ける。歌う姿がが見れる。活動再開に伴いまた色々なメディアが彼女に注目し始めた。一ファンとしては喜ぶべきことなのであろうが、むか~しからCoccoを応援している身としてはただのミーハーなファンが増えることはあまり望ましくない。でもやはり多くの人にCoccoを知ってもらいたい。好きになってもらいたい。そんな想いでこのサイトを作りました。Coccoが大好きなあなたもよく知らないあなたも誰でも歓迎です。私は今でも毎日のようにCo... [続きを読む]

受信: 2007年9月20日 (木) 03時11分

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