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1月19日 新日フィル サントリー定期公演

19日金曜、今年初のオーケストラ公演に行ってきました。データは下記の通り。

アルミンク指揮&新日フィル、ソプラノ:森麻季、トランペット:デイヴィッド・ヘルツォーク、ピアノ:松本和将

バッハ:教会カンタータ第51番「もろびと、歓呼して神を迎えよ」/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番/シューマン交響曲第3番「ライン」

相変わらず、アルミンクはいい。弦を中心に艶っぽい音色をつくり、何気ないフレーズも大事に浮かび上がらせたりするから、こちらのテンションも常に一定以上に保たせてくれる。凡庸で退屈になる箇所が、まったくない

シューマンの「ライン」を聴いて改めて当たり前のことを思ったのが、CDで聴く限界である。自分は「ライン」についてそれほど細部まで熟知してはいなく、CDで何回聴いても、なんとなく平板で強く印象に残る部分はなかった

しかし、これが生で聴くと、こんなにも様々な部分に凝ったオーケストレーションが施されているのかと、驚くばかり。アルミンクと新日の色彩感が際立っていることもあり、シューマンが新たに暮らし始めたライン河畔の雰囲気が、眼前に見えるかのごとく拡がってくる。

あと最近思うのが、協奏曲のあとのメインプログラムが始まるときの、オーケストラの「のびのびとした感じ」だ。昨年12月のN響、マイヤーのクラリネット協奏曲のあとのジュピターのときにも思ったが、今日もそれを感じた。

ある意味協奏曲では黒子の部分もあるオケが、解放されたかのように、トップモードで演奏を繰り出す。だから最近は、オケの定期公演で協奏曲があると、「オケを聴く」という観点からすると今一つな気分になりつつもある。まあ、そこだけソロを聴きに来たと思えばいいのだが。

バルトークは、現代曲的な難解さと、ハンガリー民謡に根ざした素朴さの両方が特徴だ。以前、バルトークの書籍を編集したことがあって、その生涯はかなりくわしいのだが、没年につくられたこの3番の2楽章を聴くと、異国での彼岸の境地を思い、気が遠くなりそうになる。

森麻季さんのバッハは、出だしこそ声が小さくしか聴こえずバランスも今一つだった。が、抑制された中に秘めるパッションがしだいに伝わってきて、第5曲の「アリア(アレルヤ)」で一気にブレイク。なかなかチャーミングな演奏だったかなと思いました。

森さん、相変わらず見目麗しいですが、一昨年マーラーの4番を東フィルで聴いたときはもっと顔が丸く、あっちの顔のほうが好みでした^^;

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