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御茶ノ水の「ウィーン」と「丘」

アユパパさんから昨日の記事にコメント頂いた、御茶ノ水の「ウィーン」と「丘」について語ります^^

この2店は、すでに時代の遺産となってしまった「クラシック喫茶」です。「クラシック喫茶」とは、クラシック音楽が流れていて、客のリクエストも受け付けてくれる喫茶店のことです。

日本がまだ貧しくレコードが高価だった戦後の時代に、コーヒー1杯の代金で、リクエストして待っていれば聴きたい曲が聴ける、というなんとも典雅なコンセプトでした。

私の高校は、御茶ノ水から丸ノ内線で3つめの茗荷谷駅にありました。所属していたオーケストラ部の演奏会のあとは、大人数を収容できる「ウィーン」か「丘」に場所を移して、ジュースで打ち上げをしてました。両店とも、フロアが5階分ぐらいあったように記憶しています。

(下記の写真は、2店の演奏曲プログラム)

20069_006_1

「ウィーン」は、エンジ色と濃い茶色で統一されていました。階段が螺旋のようで、それが座席を隠れ家のようにしていたのが懐かしい。「丘」は、確かに過激派のアジトのような雰囲気がありましたね。

もちろん打ち上げに限らず、よく行きました。どっちかというと、「ウィーン」のほうが多かったかな。リンゴやフルーツが四方に広がるパフェをよく食べてました。確か400円。秋葉原の石丸電気でレコードを買ったあととか、クラブの先輩に相談したり後輩の相談にのったり、もちろん友達や女の子と普通の放課後にも行ってました。

その後、大学時代までは、ときどき行っていた覚えがあります。閉店のときは、さすがに1つの時代が終わってしまったような気がしました。正確な年は忘れましたが、たぶんサントリーホールができてCDが急速に普及した頃だったのかな。みんな、音楽をわざわざそんなふうに聴かなくなったんですね。

(というか、コーヒーの売上で固定資産税払うより、貸しビルにするよね。よっぽど志が高くないと(^^;

自分もそんなに貧しい時代を生きたわけではないですが、たっぷり時間があって、リクエストした曲を待っていて、コーヒー1杯で3時間も4時間も話をしていた時代を思うと、ふっと郷愁にかられてしまいます

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「グルメ・クッキング」カテゴリの記事

コメント

コーヒー頼んでリクエストの曲かけてくれるなんて、すごくリッチな気分☆
ステキなお店があったんですね♪
そこにはpaienneさんの恋バナなんかも満載なんでしょうね。。。

投稿: かれん | 2006年9月28日 (木) 23時05分

そうですね~^^下級生からコクられたり、今カノ(って言います?)の気持ちがわからなくて大学生のOGに女心を教えてもらったりとか・・・懐かしくていい思い出ですね~☆

投稿: paienne | 2006年9月29日 (金) 21時39分

いやー懐かしい! 私も「ウィーン」のパフェ、好きでした。「丘」では、paienneさんのお好きなウェーバーのトリオをよくリクエストして聴いていましたよ! デボストのフルートによる演奏で気に入っていたのですが、このLPが廃盤で手に入らなくて……。「丘」が店を閉めると聞いたとき、さびしく思いましたが、不謹慎にも店のLPが近所のディスク・ユニオンあたりに放出されて中古として並ぶのではないかと期待して、しばらく近所のレコード店に通ったっけ。
新宿のスカラ座、馬場のアイン、渋谷のらんぶる、中野のクラシックなどもよく行きましたが、みんな無くなっちゃいましたね。

投稿: TEL END | 2006年10月 2日 (月) 00時36分

TEL ENDさん、初めまして! ようこそです。
私がウェーバーのトリオを初めて知ったのは、高校3年のオーケストラ部の合宿。フルートの友人が、サマーコンサートで演奏したときでした。
ほとんどの人が初めて聴くこの曲。「魔弾の射手」に似たフレーズが出てくると、みんな「わ~魔弾だ!魔弾だ!」と騒いでましたが、私はこの曲にかなりしびれてしまいました。(きっと演奏がよかったんでしょう^^)
その後、フルートの友人からは、グラーフ盤のレコードを誕生日にもらった覚えがあります。が、デボスト盤は、聴いたことがあったかなあ・・・
しかし今週いろいろ書いた、石丸電気、ウィーン、丘、クッキ、トムソン・・・どれもこれもいちばん共に行ったのは、フルートの友人ですね~。
ところで、丘の閉店って、何年だったか、覚えてますか?

投稿: paienne | 2006年10月 2日 (月) 21時13分

検索していてここに辿り着きました。
この記事から9年経ってます!
「丘」最後の従業員です。
店を閉めたのは、83年秋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お茶の水駅前・駿河台上にあった「名曲珈琲 丘」が閉店したのは1983年秋。いまや伝説となった純喫茶は、70年代フォークの名曲「学生街の喫茶店」(ガロ)のモデルになった店と言われてもいるが、それは都市伝説か。なぜなら歌詞には「片隅で聞いていたボブ・ディラン」とあるけれど、クラシックしか流れていなかったのだから。
 この本を手にしたあなたならば、純喫茶にまつわる、華やぐような、もしくは甘酸っぱかったり苦かったりする記憶のかけらがいくつもあるだろう。僕にとっては最大の思い出が「名曲珈琲 丘」だ。「うちは、東洋一の規模なんだぞ」と、面接に行った日に「支配人」(マスターというスケール感ではない)から聞化かされていたそのお店が。
 焦げ茶色の木の造作が美しい螺旋階段が地下から5階まで続き2000人収容。20人以上の団体専用の地下だけで200席あった。螺旋階段の中心を吹き抜けるように3階から1階まで下がる巨大なシャンデリアが圧巻で。本書の最初に紹介されている御徒町「純喫茶 丘」とは経営者が兄弟だったから造りの雰囲気はかなり似ている。けれど、シャンデリアは、18ページにある写真の5倍はゆうにあった。年に2度、その巨大なガラス装飾を掃除する際には、夜11時に閉店したあと男子店員10人ほどが総出で、吊り下がるチェーンを1本1本外して薬液に浸けつつ、朝までシャンデリア掃除だけをやっていたほどだ。僕は、高校を出て金沢から上京後すぐの79年春、ここで働き始めた。インベーダーゲームが大人気、駿河台を歩く明大生女子がハマトラに身を包んでいた頃。

 オープンカウンター内からお客さんを眺めながら、日々、珈琲を50杯ずつ何度も淹れ、100単位のナポリタンを炒める。プリンアラモードの笹リンゴを次々と切り、30個分のレシピでプリンを焼き、キャベツの千切りで指を血で染めた。ここで働きここで友ができ酒を飲み喧嘩をし、そして、いくつかの恋をした。3年半経って、最後の店員のひとりとなる。
 今思えば、「あんな素敵な場所に毎日身を置いていた幸せ」となるのだけれど、とにかく生きていくことに必死な若造は、そんな感慨にふける余裕などなかった。なんともったいない……。朝から夕方まで芸大浪人生として予備校、夕方からは、とてつもなく忙しい巨大純喫茶で、主にカウンターマン、ときにホールで接客という生活。
 でも、当時は気付いていなかったが、毎日7時間、否応なしにクラシック音楽が染み込んでくるのは大きなやすらぎだったのかもしれない。入口レジの後ろが大きなガラス貼りのレコード室で、お客さんのリクエスト曲を受けて、プレーヤーに針を落とすレコード係の女性店員が。そのガラス横から続く壁面すべてがガラス棚でレコードがぎっしり。おぼろげな記憶では、5000枚あったとか聞いたような。毎晩8時に店内全部のゴミを出すのだが、その合図としてかかる「パッヘルベルのカノン」は、いま聴いても「丘」の隅々が蘇ってくる。35年後の僕にとってあの曲が、純喫茶への憧憬そのものかもしれない。


投稿: 石黒謙吾 | 2015年4月11日 (土) 20時42分

石黒謙吾さま

遅くなって恐縮です。コメントありがとうございます!
そうですか、丘の閉店、83年秋ですか~。サントリーホールや、CDの本格普及より、一足早かったのですね。
コメントを読んで、いろいろなことを思い出しました。従業員様側からの視点によって初めて知ることもありました。重ねて、ありがとうございました!

投稿: paienne | 2015年5月 6日 (水) 20時24分

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