「ウルトラセブン・スコア・リーディング」12月20日発売!

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「ウルトラセブン・スコア・リーディング──冬木透の自筆楽譜で読み解くウルトラセブン最終回 

2015年12月20日発売、10月20日より予約開始しました!

◎著者

冬木 透[監修]

青山 通[著]

 

主役は、「音楽」だった。

 

全編に印象深い音楽をちりばめ、最終回を金字塔にした冬木マジックがいま明らかに

各回をいろどった「名曲&レア曲」も一挙掲載

大好評、『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』に続く第2弾。

◆ファン垂涎のオリジナル自筆楽譜、本邦初公開

◆最終回のスゴさを音楽面から徹底解説!

アマオケ、ブラバンでも演奏できる!

◆あの名曲「ソナタ」をピアノで、「ノンマルト」をオカリナで演奏しよう!

 

◎スペック

定価:本体7777円[税別]

B5判・並製(ビニールカバー装)・192

アルテスパブリッシング・刊

ISBN978-4-86559-134-7 C0073

初回特典:セブン写真と冬木透サイン入り特製カード

初版限定500

予約期間:20151020日〜1120

発売予定:20151220

予約ご協力店はこちら

http://artespublishing.com/news/151019_ultraseven_storelist/

 

出版社のHPはこちら

http://artespublishing.com/news/151019_ultrasevenscore_preorder/

アマゾンからもご購入できます

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「冬木透×青山通トークショー」 大盛況でした!

5月25日(土)17:00~19:00
会場:ビブリオテック(原宿のブックカフェ)
『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』刊行記念
聞き手:宮山幸久(キングインターナショナル ディレクター)

●事前の心配は、あっという間に解消!

昨日、トークショーが無事終了いたしました! 立ち見がでるかと思われるほどの大盛況でした。

実は私、青山、少しばかり気にしていたことがありました。それは、ウルトラセブンファンには辛口の方も多いので、その方たちのおめがねにかなわなくて、場が冷えたらどうしようか、ということでした。

しかしそんな緊張は取り越し苦労でした。会場の皆さんのあたたかかったこと! 私のちょっとした話にすぐさま拍手をいただいたり笑ってくださったり。あっという間に、場も私の気持ちもなごみました。

そのうち、だんだんわかってきました。この企画は、冬木先生(およびウルトラセブン)を神と崇める方々による、儀式だったのです。そしてその司祭役が、司会の宮山さんと私、という位置づけだったのでしょう。

そしてもう一つ、集まった皆様は、ほとんどが同世代。多くは存じ上げない方だったのに、懐かしい同窓会に参加したようでした。

●なんと、ひし美ゆり子様がサプライズゲストに!

さらになんとなんと、サプライズゲストにひし美ゆり子さん!! 実は当ブログ宛、開催前日に「サプライズ」の予告があったのですが、それが何なのかを知ったのは、開演の少し前。

さあ、大変です。スタッフ側もお客様も、ひし美さんにはステージにあがってほしい。でもひし美さんにそれをいつどうお伝えし、進行のどの流れでどうお呼びし、何をお願いするのか? 

実は後半の開始でお客様をお待たせしたのは、休憩中にご快諾いただいた後、後半の段取りを控室で検討していたからでした。(おまけに質問カードを置き忘れ、取りに戻る始末)。

結果幸いなことに、最後のあいさつのときに冬木先生がステージにお呼びし、出版のお祝いのお言葉をいただくとともに、最終回の名場面を音楽とともに再現していただくことができました。

当ブログをご覧いただいている方はご存じと思いますが、私、青山はアンヌ隊員、ひし美ゆり子さんの大コアファン。まあ、セブンファンでアンヌファンでない人はいませんよね。いつかお目にかかりたいとは思っていたものの、夢は夢のままにしておくほうがいいのかもと思っていたのです。

それが、このような、本の出版をお祝いしていただくかたちでお会いできるとは。ほんとうに最高のサプライズでした! ひし美さん、ご連絡くださいました「ささ」さん、ありがとうございました!

●皆さんと一緒に聴いた12曲は一生の想い出です!

今回会場で流した楽曲リストを下記に掲載します。印象的だったのは、会場の多くの方が、目を閉じて聴いていらしたこと。皆さん、ウルトラセブンの映像や当時の思い出、そして冬木先生の心象風景を思い浮かべていらしたのでしょう。皆さんの真摯な姿に青山も感動いたしました!

音楽1:グリーグ「ピアノ協奏曲」(ガリエラ指揮、フィルハーモニア管、ディヌ・リパッティのピアノ)

⇒満田監督が最終回にイメージした曲。冬木先生がそのまま納得していたら、最終回はこれだった! そうしたらこの本もトークショーもなかったかも?

音楽2:シューマン「ピアノ協奏曲」(オッテルロー指揮、ハーグ・フィル、クララ・ハスキルのピアノ)

⇒冬木先生がリパッティ盤と迷われた演奏。著者も40枚の録音を聴くなかで、最もスピリットが近いと感じたもの。

音楽3:シューマン「ピアノ協奏曲」(カラヤン指揮、フィルハーモニア管、ディヌ・リパッティのピアノ)

⇒これぞ、最終回に使われた「本物」!

音楽4:シューマン「ピアノ協奏曲」(クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団、ヴィルヘルム・ケンプのピアノ)

⇒著者が子供時代に最終回の演奏を探す中で買い、聴いた瞬間にがっかりした1枚。今回感じたまま「コントみたい」と言ったところ、実は冬木先生はケンプがお好きと。あわてて「本ではほめています」と冷汗のフォロー^^;

<ここから後半:冬木先生作曲の音楽>

音楽5:M51「フルートとピアノのための協奏曲」

⇒第8話「狙われた街」に2回使用される。元は第45話「円盤が来た」で使用予定だったエピソードを冬木先生が語る。

音楽6:M50T4「ソナタ」

⇒同話で、ダンとアンヌが自動販売機を見張るシーンでかかる。端正なピアノ曲。

音楽7:M11「宇宙の平和」

⇒第6話「ダーク・ゾーン」で、ペガッサ市がその全容を現すシーンでかかる。壮大な宇宙とペガッサ市をイメージする曲。

音楽8:「ガリラヤの風かおる丘で」

⇒教会の定番となっている、讃美歌。ライヴ録音を使用。

音楽9:「黙示録による幻想曲」

⇒前衛的なオルガン作品。壮大な宇宙や近未来的な印象は、まさにセブンの世界に通じる。

音楽10:「チャイニーズ・ラプソディ」

⇒司会の宮山氏プロデュースによるCD「国家ファンタジー」に寄せたピアノ曲。

音楽11:「帰ってきたワンダバ」

⇒同上、「フルート・レボリューション」に寄せたフルートとピアノのための曲。もちろん「帰ってきたウルトラマン」の名旋律が満載。

音楽12:ウルトラセブン「メインタイトル」~「ウルトラセブンの歌」

⇒冬木先生と一緒にこれを聴けるなんて!

●そして、サイン会で皆様とお話もできました!

僭越ながら、青山もサインをさせていただきました。

私はトークショーの最後に、「本書は、マーケティング的シミュレーションで5万人程度いると思われる(笑)、セブンを胸に同じ想いで生きてきた方々に向けて、これからも一緒にがんばりましょうと思って書きました」とあいさつをいたしました。

すると皆様から声をかけていただき、「同じ1960年生まれです!」「早稲田の1学年上です!」「5万人のうちの一人です!」「お互いがんばりましょうね!」と、あたたかいメッセージをたくさん頂戴しました。

また複数の方から、「こんな本を出してくれて、ありがとう」「こんなイベントを開いてくれて、ありがとう」という言葉もいただきました。とても嬉しい想いです。

ご来場いただいたあたたかい皆様、ショーの企画・運営をしてくださった方々に支えられ、冬木先生、宮山さんとともにショーを終えることができました。

多くの人に自分は生かされているのだなと、あらためて思い、忘れられない1日になりました。ありがとうございました。

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当ブログから書籍『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』が生まれました!

『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』
(青山通・著、アルテスパブリッシング・刊、本体価格1,600円)

Photo_2 2013年4月25日発売!(全国主要書店・CD店・楽器店、ネット書店にて)

●発売日に増刷、すぐ3刷!

●同5/15、Amazon総合69位、音楽書1位!

●「日経新聞」(6/19夕刊)、「朝日新聞」(7/28朝刊)、「サンデー毎日」(7/21号)、「AERA」(7/29号)など書評で多数絶賛!

5/15「日経ビジネスオンライン」で紹介!

●11/27、キング・レコードよりタイアップCD「ウルトラセブン・クラシック」発売! 監修・選曲・解説執筆を担当。

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冬木透氏にも取材。最終回になぜあの曲、あの演奏が使われたのか? ついに核心が明らかに!

・著者による最終回+ベスト8話の内容と音楽を、冬木氏のコメントも交えながら詳述! ウルトラセブンを音楽の切り口で語り尽くした、初めての書!

・合計18種類のシューマンのピアノ協奏曲に言及。

⇒掲載以来、多くのアクセスをいただいてきた当ブログのウルトラセブンカテゴリーが、大幅加筆を経て本になりました! ぜひよろしくお願いいたします!

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Amazonでも発売中!

★出版社「アルテスパブリッシング」のHPに、その他、青山通のラジオ出演、トークショーなどの各種露出情報が掲載されています!

★2013年5月25日(土)冬木透×青山通 トークショー (原宿・ビブリオテックにて)大盛況でした!

__★特別製作 セブンしおり付き!

7●シューマンのピアノ協奏曲の総譜にダンとアンヌのセリフを加えて、迫真のシーンを解説!(本書31ページ)

<本文まえがき>

 今から7年前の2006 年、当時の業務で各種I T ツールを体感する必要があり、個人的にブログを始めた。

 当初は、音楽、本、映画、テレビなど、エンターテインメント系全般にかんする所感を日常雑記ふうに綴ろうと思っていた。ところがいつのまにか記事の中心となっていたのは、オーケストラの演奏会などのクラシック音楽の話題と、「ウルトラセブン」各回の話だった。自分がもっとも語りたかったテーマは、この二つだということに自然と気づかされた。「ウルトラセブン」は、当時東京MXテレビで毎週再放送されていたので、これをペースメーカーとして全49話の記事を書き上げた

 クラシック音楽とウルトラセブン。 この二つを語るにおいては、どうしても書き残しておきたいテーマがあった。自分のなかでこの二つのルーツは、ひとつなのだ。1968年9月8日、「ウルトラセブン」の最終回で流れたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ディヌ・リパッティのピアノによるシューマンのピアノ協奏曲は、僕の7 歳のときの鮮烈な原体験である。そしてこの体験は、その後の人生にも影響を与えるにいたった。あれから45年が経った今でも、最終回の感動は色褪あせるどころか、高まるばかりだ

 本書の第1章では、「ウルトラセブン」最終回の内容と音楽を詳述するとともに、初回放送後7 年をかけて、最終回に使われたシューマンの録音がカラヤン/ リパッティ盤であることを突きとめるまでを振り返る。また、「ウルトラセブン」の作曲家であり音楽監督である冬木透先生への取材をとおして、この録音が使われた背景を初めて詳細に明らかにする。同時に、カラヤン/ リパッティ盤という歴史的名演が生まれた背景も探ってみた。

 第2章では、「ウルトラセブン」の音楽・内容ともにオススメの8つのストーリーをピックアップ。各回において、音楽がいかに高い次元で効果的に使われているかを、冬木透先生のコメントもまじえながら分析した。

 また巻末では、本文で取り上げた8種類のシューマンのピアノ協奏曲に加えて、さらに10種類の演奏についてふれ、その合計18種類の録音をとおして、同じ曲を違う演奏で聴く」というクラシック音楽の楽しみ方をまとめてみた。

 本書をウルトラセブンやクラシック音楽に興味ある方にご一読いただけたら、これ以上の喜びはない。

<目次>

第1章 衝撃の最終回とシューマンのピアノ協奏曲
    
1.1960年代後半という時代    
2.異なる種族同士の共生は、はたして可能なのか
3.最終回、そしてその劇的な音楽
4.最終回の「音楽」を探して
5.最終回の「演奏」を探して
6.カラヤン/リパッティ盤の録音が生まれた背景
7.なぜ最終回にカラヤン/リパッティ盤が選ばれたのか
8.そして現在へ

第2章 ウルトラセブン 音楽から見たオススメ作品

1.音楽と物語が密接に関連した3作
第43話「第四惑星の悪夢」
第6話「ダークゾーン」
第8話「狙われた街」

2.音楽が突出して印象的な5作
第29話「ひとりぼっちの地球人」
第31話「悪魔の住む花」
第25話「零下1 4 0 度の対決」
第42話「ノンマルトの使者」
第39、40話「セブン暗殺計画 前篇・後編」

Appendix ウルトラセブンから広がる音楽の楽しみ
 シューマンのピアノ協奏曲
  ・
アルゲリッチのピアノ
  ・アバドの指揮
  ・ギーゼキングのピアノ
 同じ曲を違う演奏で聴く楽しみ方

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2010年9月17日 コボスのスペイン音楽プログラム

ヘスス・ロペス=コボス指揮、東フィルサントリー定期 トゥリーナ 交響詩「幻想舞曲集」、ロドリーゴ「ある紳士のための幻想曲」、ファリャ「三角帽子」

このあたりが好きな方には恐縮だが、オーケストラのメインストリームからすると、亜流に位置付くこの日のプログラム。 「三角帽子」はディアギレフ関連作品とはいえ、ストラヴィンスキー、ラヴェルのメジャー作品と比べると存在感は薄いし、「ある紳士~」は、村治佳織の録音で初めて知ることとなった。

しかし、このようなプログラムこそ、定期公演ならではなのだろう。単券でチケットを購入することはない。しかし、定期プログラムに組み入れられることで、そのハードルを超え、むしろ興味を沸かせてくれる。そしてその期待どおり、今日の公演は得難い音楽体験をもたらしてくれた。

たぶん初めて生で聴く「三角帽子」は、大編成かつ異色な編成な曲の場合よくあるが、CDで聴いていてはどう成り立っているのかわからない箇所が次々と明らかになる。それは薄い靄がかかっていた情景が、一瞬のうちにクリアになる感覚だ。

全貌が見えたこの曲は、一瞬レスピーギの南欧感を思い起こし、すると次はストラヴィンスキーの20世紀的感覚を想起させ、そしてプロコフィエフのバレエ音楽のテイストが伝わってくる。しかしそれらはあくまで断片であり、本質的にスペインで高みを極めたスペインのオーケストラ音楽を、充分に堪能できた。

またコボスの熱と技術も、東フィルメンバーを通し、充分に伝わってきた。成功した演奏だと言えよう。まさに定期公演ならではの醍醐味だった。

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2010年7月23日 プラッソンの幻想

ミシェル・プラッソン指揮 東フィル ベルリオーズ ローマの謝肉祭、夏の夜、幻想交響曲      サントリーホール 

演奏会やCDで様々な幻想を聴いてきたが、今日の幻想は唯一無二、既知の輪郭を覆すような演奏だった。幻想と言えば、現代では普通こんなふうに解釈され演奏される、というスタンダードから離れ、それはもしかしたら19世紀はこんな感じだったのかも知れないし、もしかしたら、それは全く新しい21世紀的なものだったのかも知れない。

冒頭、まるでよくできた映画や小説のプロローグのように、これから何が起きるのか予想もつかない序幕。その後も、決して咆哮せず走らず、ドラマティックとは程遠いのになぜか地味とも全く掛け離れ、オリジナリティの塊りが意表も突く。

銃弾が飛び交いもせず、人が死んだりもせず、なのにひたひたと心の奥底を震撼させるサスペンスを見ているような緊迫感。オケの音色も透き通った音ながらも、それだけでは済まされない仕込みが入る。

普段聴く幻想だと、曲途中でいくつかの感銘のピークがあるのだが、今日はそれが全くなく、それはすべてまとめて全曲が終わった瞬間にやってきた。トータルでの世界観にいつの間にか自分が入り込んでいて、それを見届けたときに深いものがずしりと全身を貫く。

さすがにこの演奏を否定的に捉えた人はほとんどいないのだろう、サントリーホール全体にポジティブな気の波動が満ちたのが見てとれた。

こんな歴史的な瞬間に立ち会えることが、生演奏通いの醍醐味なのだ。

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2010年7月11日 都響 作曲家の肖像「シューマン」

6月はヒラリー・ハーン2公演のあと、セキと頭痛に苛まれ、3公演に行けずじまい

6月5日都響作曲家の肖像「ストラヴィンスキー」、6月9日フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン”モーツァルティステン”、6月11日東フィルサントリー定期、それに加え、これは東京ドームの巨人戦と重なった、エルムの鐘(アマオケ)も入れると、4公演ジャンプしてしまった。

ということで、およそ1ヶ月半ぶりの演奏会だ。

ルイサダのシューマンのピアノ協奏曲は、なんだかかつてのヴィルトゥオーソスタイルというか、時代がかったように重厚だった。テンポも遅く、各フレーズを独立させて弾き込む。自分のなかでこの曲の原点は、ルービンシュタイン盤とリパッティ盤の対比から成り立っているのだが、これはまさにルービンシュタインを彷彿させる。

いっぽう交響曲3番ラインは、下野竜也、呪縛から解き放されたように、冒頭から快活に走る。厚い音圧をキープさせながらの、好演だった

ところで今回、初の3階LBの前ブロックで聴いたが、音が非常にクリアに響くいい席だった。サントリーに例えると、LCが高くなったような位置。2LB、3階LBの後ろは座ったことがあったのだが、そのどちらよりもいい。芸術劇場は、1階も2階もなかなか音が茫洋としてしまうので、1LBとここの3LBはオススメです^^

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5月30日 ヒラリー・ハーン&フィルハーモニア管 東京芸術劇場演奏会

劇術劇場から、今帰ってきました!

ヒラリー・ハーン、昨年1月のリサイタルから1年4ヶ月ぶりの来日公演です! 今回は、サロネン指揮、フィルハーモニア管との、チャイコフスキーの協奏曲です。

満を持して選んだ前から7番目、上腕部の筋肉の躍動ぶりまでクリアに見える席で、真紅のドレスのハーンを堪能してきました!

相変わらず、精密機械のように正確無比なのに、弱音から強音までの表情がそれぞれの種類で豊潤。。抑制の効いたチャイコはハーンならではの演奏で、至福の時間でした。

アンコールは、バッハのサラバンド。昨年聴いた無伴奏ソナタ2番の宇宙につながる感覚を思い出し、浸りました!

ちなみにシベリウスの2番は、暗く澄んだ湖がうねるような弦、氷の断崖がすべるような管、最近向上著しい日本のオケにしてもまだまだここまでは無理だな~と思う出来でした!さすがサロネン。フィルハーモニア管もなかなかやります。

3日はサントリーで同一のプログラムを聴きますので、比較が楽しみです^^

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2009年に行った30公演を振り返って

2009年は、ポピュラー系2回を含め、全30公演に足を運んだ量的質的に1年を振り返ってみたい。まず数の内訳は、下記の通り。数字の横( )は、2008年の数値。

○ポピュラー 2(1)

○クラシック 28(30)(内訳:以下、青字

  △オペラ 0(1)

  △バレエ 3(2)

  △ソロ、リサイタル 7(0)

  △合唱 0(1)

  △オーケストラ 18(26)(内訳:以下、ピンク

    ●アマ 0(2)

    ●海外 4(5)

    ●企画もの、子供向け 2(1)

    ●在京プロ 12(18)(内訳:以下、□緑字

      □東フィル定期 8(9)

      □その他 4(9)(内訳:以下、◎茶色字

        ◎東響 2

        ◎新日 1

        ◎東フィル 1

こうやって昨対比で俯瞰してみて特徴的なのは、ソロ、リサイタルの増加(0→7)、東フィル定期以外の在京オケの減少(9→4)だ。海外オケ(5→4)、バレエ(2→3)は、ほぼ昨年同様。

ソロ、リサイタルは、1月のヒラリー・ハーン2公演をはじめ、メイエ、マイヤー、ゴールウェイ、ツィメルマンと充実、逆になぜ2008年はゼロだったのか、不思議なくらいだ。

海外オケは、ウィーンフィル、ドレスデン、ともにブラ4を聴いたが、必ずしも満足に至らず。いっぽう、チェコフィルのドボ9は、自家薬籠といった趣きに痺れる

バレエは、ロメオとジュリエット、眠り、くるみ、とビギナーコースを堪能。バレエファンには邪道な話だが、プロコやチャイコの音楽の全体像に感銘した。

さて2010年だが、すでに購入済みのものは、都響作曲家の肖像シリーズ5回、東フィルサントリー定期8回、上原彩子ソロ、サロネン&フィルハーモニア管2回、と16公演。フィルハーモニア管は、ヒラリー・ハーンが未録音のチャイコの協奏曲を演奏するので、個人的に目下一番の注目です。

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2009年11月6日 東フィル定期演奏会 

チョン・ミョンフン指揮 「ドイツ・レクイエム」

第1曲冒頭、チェロのF音。2小節め、新たなEs音と持続するF音が短七度の和音を構成し、そしてそのEs音が半音下降するとともに、穏やかで慰めに満ちた最初のフレーズが始まる。やや骨太な響きが、ホールに充溢する。

そしてオペラシンガーズが、seligと歌い始める。まるで木霊のようなこの声は、いったい何処から聴こえてきているのだろうかと思うほどだ。幽かな木漏れ陽に似たこの美しい声は、遥か彼岸、天から零れてきているのだ。

テキスト的にも、動機的にも、ドイツ・レクイエムはこの第1曲冒頭が、全曲の根幹となると言われる。今日の演奏も、この低弦の安定感や剛性感、合唱の全てを包み込むような柔らかさや美しさ、これに貫かれていくことを確信する

その後も、ミョンフン氏のこの曲の世界観を、場面ごとに的確に表現し、万華鏡のような多彩さをもって伝えるオペラシンガーズ。いっぽう、東フィルも時折見せる不安定感はほぼ感じられず、合唱とともに音による大伽藍を構築していく。

第2曲、ティンパニの運命の動機による葬送の嘆き、第3曲フーガ、低音の長いD音の安定感と力強さ、地球に「生」が満ちる確信、合唱の天に昇る気高さ、第4曲、早めのテンポによる際立つ美しさと安らぎ感、第6曲前半、彷徨う不安定さと「怒りの日」相当部分の圧倒的な怒涛、第7曲の穏やかな静謐さによる安息感。この第6曲と第7曲の動と静のコントラストにより、全曲は見事なまでの終焉を見せた。

心残りだったのは、ソプラノの声質が、弾力のあるしっかりしたものだったこと。表現、技術ともに申し分なかったのだが、全体の基調にはややフィットしていなかったのではないか

また、第5曲終了後の、ソプラノへのブラボーは最悪だった。しかし演奏者一同、さすがプロフェッショナル。一切のテンションへの影響がなかったのが幸いだ。

しかしあらためてこの曲は、全編にわたり「生」が漲っている。数多の人が指摘しているように、これは死者のためのレクイエムではなく、生きている人のための慰めの曲、さらに言い過ぎを恐れなければ、「生への賛歌」なのかも知れない。つまり、ミョンフン氏が音楽を通して表現する、人類への愛情、肯定、温かさ、そんな主題にぴったりな曲なのだ。というよりも、氏の演奏によって、それが一層際立つのかも知れない。

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2009年7月~9月の演奏会(2)

●09年9月5日 大友直人指揮 東響オペラシティシリーズ51回

久々の、というか東京中の演奏会を見渡しても2年に1度ぐらいしかない、2番交響曲やヴァイオリン協奏曲など定番曲を含まない、オールシベリウスプロ

しかし、オペラシティ初の3階2列めのC席は驚くばかり。ステージ上の反響板からの反射音がすごい。しかしステージは右半分しか見えない。初めて聴く合唱付きのフィンランディアは、なかなかに感動的だったが、こちらも初めて聴くのが当たり前だが日本初演のフィンランド語「テンペスト」に至っては、声楽ソリストが全く見えないし。オペラシティのヤバい席はほんとにヤバい。

●09年9月11日 尾高忠明指揮 東フィル サントリー定期

全く期待していなかった、どちらかと言えば嫌いな作曲家の嫌いな曲「英雄の生涯」。しかし、なんとこれが非常に良かったのだ。

厚く熱く奏でられるオーケストラの音が心を打つ。指揮者とオケの心がこちらまで到達する。これだから生の演奏会はあなどれないやめられない。尾高氏の円熟、会心だ

●09年10月13日 サー・ジェイムズ・ゴールウェイ フルート・リサイタル サントリーホール

ゴールウェイももう70歳。一昨年あたりに聴いたカール・ライスターも近い年齢。人類の至宝のような演奏家も、永遠に現役ではいられないのだから、いつもこれが最後と思っていないとならない。

しかし年齢による渋みもほんの少々加わった気もするのが、それもはたして気のせいかもしれないと思うほど、煌くきらびやかな音色は健在。正統的で野太くがっしりしたドイツ系伝統の音もいいが、艶(つや)やかなこの音色にはまた五感を揺さぶられる。

ところで、ブリッチャルディの「ヴェニスの謝肉祭」を聴いたのは、いったいいつ以来だろう!? めくるめく艶(あで)やかなこの曲を久々に聴いて、遥か自分が10代の頃の空気がたゆたってきた。。

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2009年7月~9月の演奏会(1)

●09年07月19日 ソノール・フルート・ガラ・コンサート オペラシティリサイタルホール

三村園子門下6人によるコンサート。このうち2人が友人夫妻で、結婚式でのデュエット以来で、その演奏を聴く。

しかし同じ門下でありながら、一人ひとりがなんと個性的なこと。そんななかトリでドゥメルスマンを吹いた友人の演奏は、以前録音で聴いたプロコフィエフのソナタ同様、ドイツ正統派の音色と流儀を聴かせてくれた。アマチュアでよくここまでの高みに到達できるものだ。

●09年7月24日 チョン・ミョンフン指揮 東フィル サントリー定期

ブラームスの交響曲1番、2番。11年前の7月にサンタ・チェチーリアで聴いた氏の1番の印象がいまだに残っているのだが、今日の1番は、よくわからずじまいだった。描こうとしている全体像が見えてこないままに終わってしまった

いっぽう、2番はふくよかな演奏とは思ったものの、今日は不調だったのか? と思わせる一夜だった。

●09年8月1日 東フィル こども音楽館 オペラシティ

娘が小学生だった頃は、毎年日フィルサントリーの夏休みコンサートに行っていたことが懐かしく思い出される、今日のこどもマチネ。

また、くるみの花のワルツを聴くと、A管クラを持っていなかったため半音下げてすべてB管で吹き切った高校時代の演奏会を思い出す。花のワルツのソロは、♯だらけになってものすごいフィンガリングだった^^; 

通訳はなんと久野さん。新卒で勤務した音楽系出版社の1つ先輩に、楽屋で久々にお目にかかれました

●09年8月20日 川嶋あい C.C.レモンホール

本人にとって重要な日である8月20日に、今年もこの地でコンサートを開く。2003年が最初の年というから、6年の月日が経ち17歳だった少女は23歳に成長した

そういう背景を聴くと、つい自分のことにも思いを馳せたくなる。2003年8月、自分は今と全く違う状況を過ごしていた。そこから現在までの自分の回想を、彼女の新曲や定番曲があたたかく包んでいく

打上げで本人と一言、二言をかわす。こんな小柄な彼女のどこに、ここまでのエネルギーが潜んでいるのだろうか。人間の強い意志の持つ力を、あらためて感じないわけにはいかなかった。

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2009年9月20日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール公演

昨年2008年サントリー、ムーティーのチャイ5に続き、今年2009年はメータによるウェーベルンとブラ4を聴いた。

昨年は、発売当日にずっと電話をかけ続けたがアクセス先すべて話し中のまま、完売。その後、ヤフオクにてプレミアム付きで購入した。

今年はまず確保、と考え、先行予約にてエントリー。無事当選したものの、S席にしてなんと前から3番目。サントリーでオーケストラを聴くこと、すでにアンカウンタブルな回数だが、そんな無謀な席を自ら選んだことはこれまでなく、これが初体験の、出たとこ勝負になってしまった。

さて開演。

海外オケの来日公演では、団員もその国の聴衆を観察するのが習慣なのか楽しいのか、いつも観客をウォッチするメンバーの様子を遠目から眺めていた。

しかし今日はまさにその当事者^^; 団員たちと目が合う合う。こちらがウィーンのヒトたちが珍しいの同様、彼らもまたトウキョウのヒトが珍しいのだろう。

この舞台至近の席。サプライズなメリットを何か期待したのだが、やはり予想通りデメリットだらけだった。

たとえて言うなら、遠景から眺めると風光明媚な海岸を訪れたのに、間違って波打ち際まで近付いてしまい、大波の迫力だけしか見られなかったとでも言おうか。

ほんの少々の距離を置けば気にならないだろう、微妙なズレ、歪みといったものがはっきりとわかってしまう。さらにコンマスの音が目立ち、その他のヴァイオリンの音がこれに付随して聞こえてしまう。管楽器はぼやけた音で、しかもどこの反射音から聞こえてくるのかわからない。

そんな状況だから、肝心の音作りがどんなふうだったのか、これもよくわからない。ただ、ブラ4では、メータが求心力となって団員のテンションをあげていく、というところまでは行ってなかったような気がした。

ブラームスはまず堅牢さがあって、ブラ4はそこから絶望への誘惑というような「甘やかな」部分と鬩ぎ合う必要があると思うのだが、そのあたりもなんだか無難に過ぎてしまったのかとも思う。

ウェーベルンでは、団員の作曲家への矜持を感じたものの、パッサカリアを除く2曲の十二音音楽自体が、個人的に年齢を重ねたところで理解できるものでも感じ入ることができるものでもないため、如何ともしがたい。

そんなこんなで、まともな席で聴いてみたかったと思いつつも、終演後の観客の拍手の止みがかなりあっさりしたものだったことから、大きな満足感をもたらした演奏会ではなかったと考えるのが妥当なのだろう。

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LUXMAN D-05を購入(2)

< 「LUXMAN D-05を購入(1)」から続く >

向かった先は、2年前に音楽出版社勤務時代の後輩から紹介してもらった、秋葉原テレオン

購入候補は、デノンDCD-SA11、同じくデノンDCD-1650SE、マランツSA-13S2、そして購入に至ったLUXMAN D-05の4機種だ。DCD-SA11はこの中では高価格だが、後継機の発売が近く、割引率が高いのだそうだ。

スピーカーは、現有機器のハーベス、コンパクト7の後継機。アンプは、現有のエレクトロコンパニエの適当な代用がなく、オーソドックスにデノンPMA-SA11とした。

On_bach_2試聴CDは、いつも使うシャイー&クリーヴランドの春祭に加え、現状のマイ・ベスト・オブ・ベスト、ヒラリー・ハーン、バッハのソナタ&パルティータの2枚。

まずはデノンDCD-1650SE。デノン定番の1650であり、AEのモデルチェンジ新製品ではあるものの、さすがに今回の他3機と続けて聴いてしまうと、聴きやすいがすべてにまとまり過ぎ。格の違いを見せつけられて(聴かせつかれて?)しまった。

またデノンDCD-SA11は、あくまで音源に忠実な誠実さは4機種随一だった。が、かつてサンスイの最高峰プリメイン、907リミテッド(だっけ?)と現有のエレクトロコンパニエを聴き比べたときのことを思い出してしまった。忠実過ぎて、本人らしさがよくわからなかったのだ。

01_4そして、マランツSA-13S2LUXMAN D-05。それぞれに基本に忠実ながら個性を持つこの2機種は甲乙つけがたかったが、最終的に、ヒラリー・ハーンのバッハの音の好みで、LUXMAN D-05に決めた。音のピュアさ、自由な軽やかさ、宇宙に、永遠につながる感じがわずか一歩勝っていたのだ。

しかしオーディオは、そもそも真剣に聴いて初めてわずかな違いがわかる世界。まして同価格帯の国産製品同士は、違う違うと言っても針小棒大な表現によるものだ。だから、好きなディスクを聴いたときの五感、体感、インスピレーションで決めるしかないのだろう。

ところでシャイーの春祭については、そもそも最近オーケストラは生でばかり聴いているので、この組み合わせであっても少々無理めな感じがしてしまった。

あ~スピーカーも買い替えたい!! でもでも先行きの生活すら保障されていない平成な状況を何と心得る(怒)! と自分を戒めたい気分の、盛夏の夕暮れでございました・・・

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LUXMAN D-05を購入(1)

09年5月に、「ルボックスのC221ついに全壊」の記事を書いてから3ヶ月。ようやく、新しいCDプレイヤーを購入した。

このとき全壊と書いたものの、レンズクリーナーを何回かかけながら再生させると、意外に止まらずいくこともあり、そのまま騙し騙し使用していた。が、ここへきて、さすがにそれも限界になってきた。

先日はなかなか好調で、愛聴盤であるバーンスタインNYPOのシベリウスの2番をいい感じで聴いていた。ところが、4楽章ラスト2分で突如停止。すっかり自分と音楽の間に機器が介在することを忘れて音楽に入り込んでいただけに、これはつらい。

そこでオーディオ店の知り合いにもろもろ相談したところ、手持ちのルボックスの修理は不可能かもしくはかなりの費用がかかることもわかり、購入を決心した。

しかし15年前に、現在の海外製品でオーディオを一新した時から、日本も変わり、オーディオの世界も変わった。平たく言うと、ますますハイエンド製品とその他もろもろの間に、二極化が進んだようなのだ

手持ちのルボックスと同程度の、買値20万台の輸入CDプレイヤーには、手頃な製品がないと言う。なるほど、オーディオの趣味を続けていて今も海外製品を買うような人は、広大な土地建物を持ち、将来にわたり金にも不自由しない人に限定されてきているのだろう。だから、マーケットに対応して製品もハイエンド化。

いっぽうそうでない人たちは、以前はオーディオに興味はあったが、今さらそんなものにカネをかけず、パソコンや携帯型音楽プレイヤーやラジカセで音楽を聴いているに違いない。

確かに平成の時代と自分の環境を鑑みると、向こう10年ですら、生き抜けるかどうか見通しが立たない。今が昭和なら、終身雇用に右肩上がりの給料にそこそこの退職金をあてに、ここで一気にグレードアップをはかったのだろう。が、そんな夢のような時代は、すっかり郷愁の彼方となった。

ということで二極化コアマーケットから中途半端な自分は、ひとまずは現状維持もしくは若干のグレードダウンも視野に入れ、今日、秋葉原のオーディオショップに向かったのであった。。

( 「LUXMAN D-05を購入(2)」に続く)

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サイモン&ガーファンクル 09年7月11日 東京ドームライヴ

まさかまたこんな日を迎えられるとは思ってもみなかった。1941年生まれ、67歳のサイモンとガーファンクルの二人が16年ぶり3度目の日本公演を敢行、今日11日のドームにて二人のハーモニーを聴くことができた。

1960、70年代に活躍した往年のビッグアーティストを日本公演で見て、かつての面影が全くなく完全な中年のオヤジと化した姿に、愕然とすることがよくある

ところがポールとアートの佇まいを見ると、もちろんそれなりに歳を重ねた外見ではあるものの、その醸し出す雰囲気がかつての二人そのままなのには驚いてしまう

開始時間を10分ほど過ぎて、場内が暗転。オープニングでビジョンに映る映像は、二人の幼い頃からの写真に、時代を揺るがした歴史的な出来事も相俟う。

そして映像のバックに流れるのは、ボーカルレスの「America」だ。これだけですでに涙ぐむ。この曲は、私の最も好きなS&Gの曲なのだ。

「America」は、A面で人の一生を描いた組曲的アルバム『BOOKENDS』において、その若者時代を担う曲だ。

「僕」はキャシーに、「恋人になって財産を1つにしよう」と持ちかけて、「アメリカを探しに」いく。バスの中を描いた箇所は、映画を見ているようにその情景が伝わってくる

曲の展開もドラマティックで、最後たたみ掛けるように訴えかけておいて、すっと涼しい風が吹くように引いていく。

「僕」とキャシーは、自分を、真実を、探すのだが、結局見つからない。ここには、アメリカ60年代の挫折のなかで、アイデンティティ喪失に苦しむ若者が描かれていると言われる。

そして登場する二人。アートがポールを「古い友人です」と紹介する。そのまま第1曲は、「Old Friends」。

中学生のときにアルバム『BOOKENDS』の中のこの曲を聴いたときは、震撼させられたものだった。公園のベンチにすわる二人の老人。人生あとわずかとなった老人の孤独と絶望が切々と深く伝わってくる。まだ見ることを許されていない、知らない世界の扉が開いてしまったような感覚を覚えたものだ。

いっぽう歌詞に出てくる「70歳」まであとわずかのポールとアートを見ていると、そんな負の諸々も受け入れて、なお輝いていることに、逆に勇気をもらえる気がしてくる

2曲目は、「A Hazy Shade of Winter」。ドラマ「人間・失格」の主題歌として、日本の若い世代にもS&Gを知らしめた曲だ。日本の若い聴衆向けのサービスなのだろう。

3曲目は、「I Am a Rock」。「僕は岩、だから苦痛なんか感じない」というこの曲を聴いて自分を守ることに必死だった、中学時代に思いを馳せる。

そして4曲目は、前述の「America」。原曲とはアレンジを大きく変えている。

通常、自分の個人的な記憶と一体化した曲は、アレンジを変えずに聴きたいもの。ライヴで表情を変えて演奏されると、落胆することがほとんどだ。

しかし、今日のライヴは、多かれ少なかれどの曲もアレンジを変えていたものの、残念な気持ちは一切起こらなかった。それは、原盤の音楽を超えた次元で、二人の声と楽曲に大いなる普遍性があるからなのだろう

それにしても、なんという純度の高さ。二人のボーカルとポールのギター、という本当にシンプルなサウンドが、広い東京ドームをスピリチュアルな空間に変える。それは、数万人の観衆を浄化し、時代も空間も超えてどこまでも拡がっていきそうな気がしてくる。

そしてその後もS&G時代のヒット曲を続け、中間に二人のソロ曲を経て、「Bridge Over Troubled Water」で本編を終了。アンコールも「The Sounds of Silence」「The Boxer」などS&G時代のヒット曲で、ラストは陽気な「Cecilia」でクロージング。

もちろん、全盛期の声質と比較するのは酷というものだ。しかし、70歳近い年齢で数万人を感動させるパフォーマンスを繰り広げられるというのは、奇跡の為せる技だとしか言いようがない。

この日ここに立ち会えたことは、一生の宝となることだろう

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ついに封印が解かれる ! ? 『オバケのQ太郎』が復刊!

1980年代後半以来、長らく絶版状態にあったマンガ『オバケのQ太郎』の封印が解かれるようだ

2009年7月3日付朝日新聞夕刊によると、24日から刊行される「藤子・F・不二雄大全集」に、オバQが収録されるのだそうだ。あの名作の数々が、およそ20年ぶりに陽の目を見ることとなる。いつかこんな日が来ることを期待していたのだが、まさか実現するとは思ってもみなかった。

封印の原因については諸説紛々ではあるのだが、大きく、(1)黒人差別問題、(2)藤本氏と安孫子氏の著作権問題という説がある。

(1)については、「国際オバケ連合」に登場するウラネシヤ(国名)代表のオバケ、ボンガの描写や、ボンガに対するアラスカのオバケ、アマンガの発言が最も取り沙汰されている。確かに、ボンガのキバのような歯であったり、アマンガの「バケ食いオバケ・・・人間でいえば人食い人種にあたる」などの箇所は、問題視される要素がないとは言えないだろう。

(2)については、安藤健二著『封印作品の謎 2』(太田出版)で、著者渾身の取材が試みられている。氏によると、原因はこの(2)によるものであるようだが、詳細は深い闇に包まれよくわからないと、結論付けられている。関係者の口の重さ、タブー感は、相当のものだったとのことだ

ということで、ここ20年、『オバケのQ太郎』は古本市場でしか入手することができなく、かなりの高値が付けられていた。主要な版は、下記の3つである。

<1> 虫コミックス版 全12巻 虫プロ商事株式会社刊 (最終巻初版 1970年6月30日)

<2> てんとう虫コミックス版 全6巻 小学館刊 (最終巻初版 1977年4月25日)

<3> 藤子不二雄ランド版 全20巻 中央公論社刊  (最終巻初版 1987年7月17日)

ヤフーオークションにおいての相場で言うと、それぞれ1巻あたり、<2>が数百円、<3>が数千円、<1>は1万円以上、といったところだろうか。

私は小学生時分に、緑色の表紙の<1>を所有していた。だが、「大人になったらマンガは卒業するものだ」という時代と親の圧力に負け、中学生のときに最終巻12巻のみ残して処分してしまった。多感な中学生時代は、子ども扱いされることだけは避けたかった。この微妙な時期の心理を、狙い打たれてしまった格好だ。

その後、とはいえまたオバQの数々の作品を読み返してみたくなる。さらに、実は自分たちの世代にマンガは欠かせないものだという共通認識による、マンガの市民権も広がってくる。そんななかで、高校、大学生になって<2>を購入する。しかしこれは、<1>の半分の6巻本だ。物足りない。

その後、1990年代になって、オバQが絶版状態になっていることを知る。そうすると、自分を構成する要素の一部分が欠落したかのような気になり、手遅れにならないうちに全巻を集め直したくなる。そんななかで、<3>の存在を知る。

そうこうしているうちに、様々なインターネットのサービスが世の中に普及してくる。ヤフーオークションにも登録すると、垂涎の作品たちが値段を付けて落札を待っている。ある日、<3>の全巻が2万円という格安価格で出品された。これを、12万円までという上限を自分で設定し、最後2名のバトルの末、84000円で落札したのが4年前の2005年だった

「藤子不二雄 at RANDOM」というサイトによると、オバQの単行本収録作品全279話のうち、<3>は277話をカバーしているという。残りの2話のうち1話はてんとう虫版で保有しており、この時点で、保有していないのは残るは1話のみとなったのだ。

余談だが、この<3>については、やたらとオリジナルの改変が見られる。その改変の方向性が首を傾げざるを得ない。

例えば、私がオバQの最高傑作の1つだと思っている、「おしうり入門」での改変だ。

オバQが一般ご家庭に押売りに行くと、「押売りお断わり」という手書きの看板が出ている。オバQはこれを見て、(振り仮名が振ってあるにもかかわらず)、

「リ、オ・・・ワ、リ。ほかの字はわからない。」

と言ってずうずうしく家に上がる、というのが原作であろう<1>の内容だ。

ところが<3>は、あろうことか「断わる」を「断る」と表記統一をしたようで、「押売りお断わり」の「わ」を取って「押売りお断り」と改変し、(手書きの看板は活字になり、)さらにこの流れで、オバQの台詞からも、

「り、お、・・・・・・り」

と「わ」を取ってしまったのだ。(しかもひらがなに改変されている。)

もちろんこれは著者の承諾がなければ、著作者人格権の重大な侵害にあたる。百歩譲って、著者に包括的な承諾を得ていたとしても、この、「リ、オ・・・ワ、リ。」というリズム感によるオバQのマヌケさを愛しく感じていた私のような愛読者に対して、失礼極まりない。

また、「もしもぼくが○○だったら」においては、こんな改変がある。

オバQが、自分が誰々だったらと夢想しているうちに、その人に成りきってしまう、という話だ。オバQは空に浮かんでいると、歌が聞こえてくる。

<1>「あれは坂本九の歌だな」「かれは人気ものだなあ」

<3>「あれはだれの歌だっけなあ」「最近人気があるなあ」

<3>が刊行される数年前、坂本九は、航空機事故で惜しまれながら亡くなった。<3>の編集者、編集責任者は、オバQが空に浮かんでいるシーンに坂本九の名前が出てくるのはまずいとでも思ったのだろうか。この改変の意図は、そうとしか考えられない。当時、抗議団体の声が強く、それによりメディアに「言葉狩り」が横行していたという世情を鑑みても、この改変が妥当かと言えば妥当でないと言うしかないだろう。

ということで、今回の復刊は、<2>を出版した小学館からだ。この<2>についても、<1>から<2>にかけての物価の上昇に合わせる意図だろうか、<1>に登場する料金を改変している箇所が存在する。

ぜひとも「原作に忠実に」、ファンの期待を裏切らないかたちでの刊行を強く望む。(とは言っても、もう校了後でしょうが・・・)

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09年6月26日 東フィルサントリー定期 『椿姫』 コンサートスタイル・オペラ

指揮:チョン・ミョンフン

コンサートスタイル・オペラ。ガラ・コンサートや、イベント的な演奏会で似た類のものは聴いたことはあるが、このような本格的なスタイルでは、初の体験だ。

今回演奏会を聴くまでは、「本物のオペラの縮小版」的な捉えかたをしていた。しかし実際に聴いてみると、そんなイメージは覆された。

オペラではピットにいるオーケストラが、ここではオケの演奏会の位置にいる。当然音を聴くにはベストポジションだ。

またオペラでは、衣装を着てその他大勢として演技をしている合唱が、合唱付きのオケ曲の位置に居並ぶ。こちらも当然、各パートがまとまって、ビシっと聴こえてくる。

もちろんソロ歌手も、演劇的表現の必要がない分、歌だけに専念することができるはずだ

つまりこのスタイルは、オペラから演劇的な要素を一切排し、音楽のみを純度高く抽出することができるものなのだと、聴いているうちにわかってきた。

「CDで聴く」オペラを生演奏で聴いている、という感覚が一番適切なのだろう。

しかし、今日もミョンフン氏は、弦を歌わせみごとに鳴らす。氏の手にかかると、それが東フィルだということを忘れてしまうことがときどきあるが、今日もそんなレベルの高さだ。

ところどころで、各パートで音が揃わないところもあったが、そんなことはトータルな表現に何も影響を及ぼさなかった。音が艶々ときれいに輝いていて品が高い。

また、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンの主役3人は、海外の歌手で固める。ここも細部を論えばいろいろあるものの、総論的にはOKと言っていいだろう。ただ、サントリーホールとの相性のせいか、音がダイレクトに鼓膜に響き過ぎのきらいもあった。

またまた最後にこんな話しで恐縮だが、LC3列目のご年配のご婦人は、冒頭のデリケートな第1音が鳴るまさにそのタイミングで、袋をガサガサガサガサ鳴らし続け、P席にいた友人によると、指揮者はそのために上げたタクトを2度下ろしたという。

音響から選んだ今期の東フィル定期のLC席は、これで開幕3ヶ月連続でこんなレベルの一見サンに見舞われた。清濁あわせのまざるを得ない仕事から解放される平日夜の楽しみに、こんな理不尽を排除できる仕組みはないものだろうか。。。

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09年6月11日 トリオ・ディ・クラローネ 演奏会

王子ホール

メンデルスゾーン:コンツェルトシュトゥック1番、2番

シューマン:3つのロマンス、おとぎ話、幻想小曲集ほか

しかしメンデルスゾーンのコンツェルトシュトゥック1番、2番。こんなレアな曲を、こんな小ホールで、ワールドメジャーなザビーネ・マイヤーが演奏するとは、いやいや、生きてるといいこともあるものだなと、購入。

もちろんこの曲を知るほとんどの人には、ウェストミンスターのウラッハ盤が刷り込まれていることだろう。演奏者からしても、このスタンダードとも言える演奏と、自身の解釈を対比しないわけにはいかない。

マイヤーはやってくれた。アゴーギクにしろアーティキュレーションにしろデュナーミクにしろ、ウラッハ盤の呪縛を全く感じさせない。堂々と豪快で音圧・音量抜群でキレのいいコンツェルトシュトゥックは、耳に新しく斬新そのものだ

CD録音で聴くマイヤーは、オーソドックスな定番な印象があった。いっぽう数年前にサントリー聴いたモーツァルトの協奏曲では、オリジナリティを、やたらと楽譜にないフレーズを繰り出すことで表現しており、どうも納得できなかった。

しかし今日の堂々オリジナル真っ向勝負のメンデルスゾーン。古き良き時代のウィーンの香りがするウラッハ盤の解釈を全く新しく塗り替えることに成功した演奏には、感服。素晴らしい! 

いい演奏会だった。

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09年6月10日 クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

サントリーホール

バッハ:パルティータ2番、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ32番、バツェヴィチ:ソナタ2番、シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲

この価格設定は強気だなと思っていたところ、さすがに空席が目立つ。1階席の通路後方R側は、7割方あいていた。

全体を通して、耳に馴染んでいるバッハとベートーヴェンの2曲は、あまり印象に残らなかった。いっぽう、ともに初めて聴くバツェヴィチとシマノフスキには、心を動かされた

前者では、大作曲家と大ピアニストが対峙していた様相であったが、後者ではそれが一体となっていたとでも言えばいいのだろうか。

ポーランドの作曲家の曲をポーランドのピアニストが弾いているから、という安易な結論に帰結するのはいかがなものかなとは思うものの、この2曲を通して描かれる心の葛藤は、時代や国を超越してひしひしと伝わってきた

シマノフスキの中盤以降、近現代的な『展覧会の絵』とでも思わせるスケール感が、圧巻だった

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09年6月3日 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 演奏会

東京文化会館、指揮:アイヴォー・ボルトン、ピアノ・ラルス・フォークト

ハイドン:交響曲101番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、交響曲第41番

23日のデンマーク・ロイヤル・バレエ団に続いて、再び東京文化会館へ。かつては演奏会のほとんどが文化会館だった時代もあったが、最近は此処へ続けて来ることは、非常に珍しい

会場は8割が埋まる盛況。そんな安価ではない価格のことを考えると、やはり日本人にはモーツァルトやウィーンの愛好家が、一定数存在するのだろうか

編成は、弦の各パートが2~4プルトと、室内管より少し大きいぐらいの編成。

最初はハイドン。初めて聴くこのオケの音に、まずかなりの違和感があった。このホルンとトランペットはザルツブルクもしくはウィーンの伝統的な楽器なのか、やたら音が粗い。弦と木管は現代の楽器のように見えるが、全体的に古楽っぽい響きだ。

残念ながら、ハイドンはあまり琴線に響くところがなく、仕事の疲れから睡魔が勝ってしまった

続く20番。ピアノのラルス・フォークトの、クリアでしっかりとした情緒に流されることのない展開が心地よかった。が、ここでもピアノとオケのトゥッティにおける音に違和感が残った。

これまで聴いてきた国内オケ海外オケ問わず、モーツァルトの音とはこういう感じ、という範疇を大きく超えている。これが地元で伝承されている、18世紀からのモーツァルトの音なのだろうか

ところが休憩後の41番で、覚醒した。音は変わらないのだが、それが逆にモーツァルトの悪魔的な側面を強烈に焙り出す。モーツァルトの音楽には、ところどころに時代を超えてしまった未来の音が垣間見えるが、この4楽章も、なんだか立ち入ってしまってはいけないような音世界が展開される

今日の演奏会は、すべてこの4楽章で魔界の扉を劇的に開くために構成されていたのはないかと思えるほどだ

アンコールは、ボルトンが愛嬌たっぷりにフィガロやモーツァルトのコアな小曲を奏で、さすが本場と思わせるなか、和やかな雰囲気のなかで幕を閉じた。

それにしても今日の観客は、フォークトのアンコール終了後、音楽が終わり彼が完全に緊張感を解くまで固唾をのんで見守っていた。そして湧き上がるような拍手。久々に(というか最近ほどんどない)民度の高い観客が素晴らしかった。

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